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愚者はミルクレープの"美"をフルーツで乱す

ミルクレープ。

それは世界でいちばん美味なる菓子の名。

あのどんな甘い具材も優しく包み込んできたクレープ生地と、甘みの根源とも言うべき生クリーム。彼らを交互に幾重にもただ積み上げるという狂気の発想からこの世に産み落とされた禁断の菓子である。

その魅力は人々を虜にした。人の手に余る妖艶な魅力は、しばしば争いの種になる。それによって奪われた命と、救われた命、いったいどちらが多いのだろう。

僕もまた、その魅力にとりつかれたひとりだ。十数年前に、このミルクレープという魔性の菓子に出会い、この世には純真無垢さと悪魔のような魅力を併せ持つこんな背徳的なものが存在しているのかと、これまでの常識が覆されるような衝撃を受けた。

あえて言葉にするのも野暮かもしれないが、ミルクレープを食す際にもっとも目を惹くのは、その層の均一性から生まれる"美"である。薄い生地とそれを健気に支えるふわりとした生クリームが、無限とも思えてしまうくらい、絶え間なく、同じ比率で積み重なっている。たまにクリームが他より少しだけ分厚い部分があるが、それすら、層を重ねつづけたとき等間隔で発生しうるのではないかと思えてくる。

また、理想的なミルクレープとは、生地とクリームのみという、余計なものが一切介在しない純度の高さを誇る。まるで誰の足跡も着いていない新雪かのように、あまりにも純粋だ。凡人はそこに雪だるまやかけまわる子どもの姿をもって新雪を表現するのかもしれないが、そんなものは蛇足であるとおしえてくれる。これぞ引き算の"美"。わびさびの心。

その均一性と純粋さから成る"美"にフォークを入れた瞬間に優しく響く「とぅとぅとぅとぅとぅ」という心地よい振動。乱れぬBPM。これだ。これこそがミルクレープの持つ神聖さ。ああ、尊い。

しかしこの世には、この圧倒的な"美"を乱す愚者がいるらしい。

な、なんてことを……!?

層と層の間に、フルーツ!?

そんなことをしたら、生クリームも片手間で生地とフルーツ両方を支えていて、なんだか居心地が悪そうじゃないか。ああ、新雪をショベルカーで泥から掘り起こすかのごとく不純物が入り乱れてしまっているし、クレープ生地も慣れないおさまりにとてつもなく息苦しそうだ。これではフォークを入れた瞬間に「とぅ、とぅ?ぐにに、とぅ、ぐぐ、とぅ、とぅん」となってしまうのではないだろうか。まさか、そんなことすら想像できないというのか。

愚か。

人間とはかくも愚かだったのか。

どうせクレープ生地が生クリームの力を借りてどんな具材も包み込んできた実績があるのをいいことに、「層の間にもフルーツたっぷり入れて贅沢にしちゃお。てへぺろ」とか言い出した輩がいるのだろう。わびさびの心のわからぬ、愚か者が。ため息しかでない。

そういうことはクレープでやってくれ。ミルクレープとなった瞬間に生地と生クリームの間の絶対領域が果実風情には立ち入り禁止になることくらい、義務教育を受けていれば容易に理解できそうなものだが……。

もし、これを読んでいる人の中に、フルーツの入ったミルクレープを取り扱うケーキ屋、カフェ、レストランで働いている方がいたら、一度、考え直してほしい。あなたが日々提供しているミルクレープが生み出す罪と哀しみについて。

心からのお願いだ。

目先の豪華さとか、派手さにとらわれることなく、どんなものが美しいか、尊いか、あなたの感性でもって、もう一度目の前のミルクレープと向き合ってみてほしい。

もっと言わせてもらえるならば、せめて、せめてフルーツを付け加えるにしても、「乗せる」か「添える」程度にしてほしい。その均一かつ純度の高い層を破壊するという判断が、ミルクレープのアイデンティティまで破壊してしまっていることに早く気づいてくれ。あなたがそれに気づいた上で同じことを繰り返せるほどのアナーキストであるならば僕にはこれ以上何も言えないけれど、もし、そうでないならば。

ミルクレープの、いや、日本の未来について、今一度真剣に考えてやってくれないだろうか。

大丈夫です。疲れてません。

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