良い景色を素敵な写真に残すという業
昨日のnoteでお話したように、週末は上高地という山岳スポットに行ってきた。
とても景色の良いところで、当然のように一眼レフカメラを首から下げた人たちがたくさんいた。僕たちのグループにもやっぱりいて、景色の写真やら、グループでの写真やらを良いカメラでたくさんとってもらったからすごくありがたかった。各自スマホで景色を撮影していた他のメンバーも、「良いカメラで撮ったものを後でシェアしてもらえるし」と、途中からスマホを取り出すのを止めていた。僕は最初からスマホを出さなかった。
そうなると、一眼レフカメラマンの彼は良い景色を素敵な写真に残すという業を背負い、自らの目で景色を楽しむ時間は失われていく。もちろんそれに僕が「かわいそうだ」と思ったところで、当人は好きでカメラを手にしているのだから、とやかく言うことでもない。ファインダー越しの彼らの世界があるのだろう。
景色はまあそれとして、同行しているメンバーの写真もだんだんと彼まかせになっていく。そうなると当然、カメラを手にした彼が被写体となる写真の割合が減っていく。写真を撮ることで思い出を形に残すことにいちばん貢献しているのに、その思い出の形となる機会がいちばん少ないのは、なんだか寂しい。
それとも、カメラを手にする人たちはあまり写真に写りたくない人たちなんだろうか。いや、そんなことはないだろう。カメラが趣味の人たちのLINEのアイコン、カメラをかまえた当人のパターンめちゃめちゃ多いし、きっと「撮りたい」し、「撮られたい」んだろう。全然関係ないけど、一人でいろんなところに行って、いろんなものをひたすら撮る「真のカメラ好き」はあのアイコンを撮るのがいちばん難しいんだろうな。カメラとカメラマンがもう一組必要だし。「カメラ好きをアピールしてると思われそう」という自意識にも勝たないといけないし。
さておき、ちゃんと「みんなとの思い出を残したい」し、「撮られたい」という願望のある人の写真が少なくなっていってしまうの、どうにかならないかな。
ああ、僕がその人を撮ってあげればいいのか、撮ってあげよ。と、そこではじめてスマホを出してみたはいいものの、腕もスマホカメラの性能も弱すぎて、カメラ好きを怒らせそうな写真か、とてもアイコンには使えなさそうな写真しか撮れなかったのでそっとスマホをしまった。
素敵な写真をいつもありがとう。と感謝だけ濃いめにすることにした。
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mecca/SUP
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