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これまでもこれからも、演劇が好きだと思うこと。生活のとなりに、演劇があること。

「子供を持ったら、もうお芝居には関われないのかな」

ずっと前、漠然とそんなことを思っていた。

そのころの私は、高校の部活で始めた演劇に夢中で、大学に通いつつ外部の劇団のお手伝いをしたり、公演に参加したりていた。

とにかく演劇が楽しくて、仕方がなくて。

高校生のときには学生割引に助けられて同じ公演を2度3度と観に、劇場に足を運んだりもしていたし(今思ったらなんて贅沢な体験だったんだろう……!学割を設定してくれた当時の色んな劇団にとっても感謝しています!)深夜に放送してた、劇場中継などのテレビ放送をビデオテープに録画して何度も観たりしていた。
大好きで大好きで仕方なかった劇団のワークショップに何度も通っていた時期もある。

昼も夜も、演劇のことを考えていた。

ほとんど徹夜で、脚本を書いた夜。
公演のチラシの絵を描いたこと。
小道具や衣装のことを考えたら、胸がわくわくしたこと。
台本を印刷する、コピー機の匂い。
照明が当たると、肌が熱くて汗ばんだこと。

……あのときの時間の断片たちは、今思い出しても、すごく楽しくて、まぶしい。

でも、いろんな無理が重なって身体の調子がおかしくなったことをきっかけに少しお芝居を休もうと思った。
そうしているうちに環境も変わり、演劇のための時間を作ることが、自分のなかで難しくなって。
子供が生まれてからはなおさら。平日の夜や土日に家をあけることは難しくて、テレビをつけても自分の好きな映画やドラマさえなかなか観られない日々のなかで「演劇とはもう、縁のない生活になっちゃうのかな……」とほんの少し、さみしいような切ないような、気持ちになることがあった。

演劇が好き。
お芝居が、好き。

それは、ずっとずっと私のなかにある気持ち。

だけど。

いつの間にか、演劇から遠ざかってしまったことを、うしろめたく思う気持ちに胸を締め付けられるようにもなっていった。

舞台を観に行くことも、今は、どうしても観に行きたい大好きな劇団のものを年に1度か2度、観に行くくらい。

そんなふうに今は演劇から遠く離れてしまった私が「演劇を好き」なんて、言っていいのか……わからなくなったこともあった。
だんだんと、演劇について語るなんて自分がしてはいけないような気持ちさえ、胸のなかに芽生えはじめて。

なのに、幾度も幾度も。
演劇の、舞台の、お芝居の、夢をみた。
日々の暮らしに不満があるわけじゃない。
それでも、どうしても。
目が覚めたとき、今演劇と遠く離れてしまっていることが悲しくて、心が引きちぎられるほどに苦しくなる日があった。

だけど。昨年の夏、とても好きな劇団の公演を観に行ったときのこと。

やさしくてまっすぐで素敵な、そのお芝居を観たあとで。
ふと、すとんと胸のなかに降ってきた気持ちがあった。

――そうか。
観客として舞台に足を運ぶことも、その場にいることも。
舞台を作り上げるひとつの大事なピース
なんだ。

だったら、いま、ここにいる私は確かに「演劇」と関われているんだ――。

なんだそんなの、当たり前のことじゃないか、とも思う。
だけどそのときようやく私は、しっくりと納得できる気持ちの在り処を、見つけられた気がした。

だってもう、どうやったって。
私は演劇が好きなんだ。

だったら苦しいからって背を向けるより、その気持ごととことん愛して、
「演劇好きだよ!めっちゃいいよ!」って全力で言える、自分でありたい。

その日に観たお芝居は、本当に素敵な作品で。

お芝居を、楽しむこと。

それは形を変えて、いまも私を救いつづけてくれているんだと、そう思えた。


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最近、3歳になった子供が、いろんな遊びを一緒にできるようになってきた。
しりとりをしたり、追いかけっこをしたり。
ちょっとずつ、ルールのある遊びも始まった。
もう少ししたら、カードゲームやボードゲームも一緒にできるようになるかもしれない。

そんな子供の様子を見ていたら、そうだ、シアターゲームも子供と一緒にできるかな……なんて思うようになった。

かつて、演劇の稽古や基礎訓練として取り組んだ、色んなゲーム。
それは思い返せば、子供を遊ぶのにうってつけのゲームだったりして。

日々子供と遊びながらも、お芝居で培ってきたことに通じる遊びは、たくさんある。
好きな文章を、声に出して読んでみたり。
その声の出し方を、いろんな形で変えて、どんな話し方が良いのかを探ってみたり。
ストレッチをしながら身体の使い方を楽しむような遊びをしたり。

たとえば今、目の前にいるひとに。
声が、言葉が、いちばんまっすぐに届くのは、どんなやり方だろうか?
いま、ドアを開けようとした、モノを手に取ろうとした、その私の手は、腕は、どんな形で、どこに力が入っている……?

日常のなかでふとそんなことを意識したら、それはもう演劇の一部だと、私は思う。

そんなふうに
生活のとなりに演劇がある」ことは、きっとこれからも、嬉しい。

「子供を持ったら、もうお芝居には関われないのかな」
いつか思っていたこと。
でも、そんなことはないんだと、いま、私は思ってる。

確かに、日々の思考のすべて、持てる時間の全てを振り絞るようにささげて、演劇を中心に生きていたときとは、全く違う生活を、今はしているけれど。

演劇が私にくれたものは、これからも、私の日々を明るくしてくれる。

子供がいるからこそ見えてきた、お芝居との関係がある。

演劇をやっていたころ、やったことがあるものの他に、子供を遊ぶのにぴったりのシアターゲームはないかな……調べてみたいな、学んでみたいな……。
たとえば親子向けのワークショップがあるならば、子供と一緒に参加してみたい。
子供はどんな顔をするかな、どんなふうに楽しんで、くれるだろうか……?

そんなふうに考えていたら、わくわくして。
また日々の楽しみが、増えて、ムクムクと育ち始めてる。

わくわくする日々を、作っていきたい。

子供といっしょに。
私自身もたくさん、笑いながら。

だからわたしは胸を張って、言いたい。

演劇が。
お芝居が。
これまでも、これからも。

ずっとずっと、だいすき。

これからもときどき、劇場にも足を運びたい。
できるだけ、好きな劇団や心惹かれた公演を、観に行きたいと思う。

いろいろなことが起こる日々のなかで、それが叶わないときでも。
お芝居のことをポジティブに、想い続けていたい。

いつか……子供とも一緒に舞台を観に行って、お互いに楽しめたら、すごくすごく、嬉しい。

これから先だって、私と、演劇との関わり方は様々に変化していくと思う。
でもちゃんと「好きだ」って気持ちを持って。
その変化を、楽しみながら暮らしていきたい。

生活のとなりに、演劇があることを思いながら。



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