まるで下絵を描くように。家族との時間をつくっていくこと。
先日ふと「家族と過ごす時間って、絵を描くための下描きみたいだ」と、思った。
それは、Sketchという単語の意味を調べていたときのこと。
子供との日々を記録したくて育児日記のようなものをつくったけれど、何か良いタイトルはないかなと思っていたら、ふと「Sketch」という単語が思い浮かんだ。
日々を詳細に記録するんじゃなくて、その日感じたことや思ったこと、その手触りや質感をささっと残す———そんなスケッチを描くような感覚で記録を残せたらいいなと思って、あらためて意味を調べてみたのだ。
いくつかの意味の中に「下描き・素描」という言葉を見つけたとき「そうか、家族と過ごす時間ってまるで下描きみたいだな」と思った。
いつか、子供は、この家族から巣立っていく。
誰かと出逢って、自分の大事なものや、愛しいものを見つけていくんだろう。
それはまるで、子ども自身が描く絵で。
家族との時間は、そのための下描きのようなものなのかもしれない。
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すこし前に、ジブリ作品の『耳をすませば』を観たときに思ったことを思い出した。
子供のころから大好きで何度もくり返し観た映画。
でも、そのときに私が思ったことは。
子供は、親の知らないところで、誰かと出逢ったり何かに影響されたりして、自分の世界を作っていくんだな、ということだった。
子供が自分で選んで進んでいく道に、親がしてあげられることはほんの少ししかないのかもしれない……。
そんな話を夫にしたら「でもそのための下地をつくるのは家庭なんだよ」と、言われたことを覚えている。
どんな人に、心惹かれるのか。
その人と、どうやって言葉を交わすのか。
どんなものを食べて、おいしいねと笑うのか。
あいさつをちゃんとできること。
ひとを、思いやれること。
子供には、そういうベースを作ってあげるのが大事だねと、そんな話をした。
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今、ちいさな子供と過ごす時間は、愛しくて、ひたすらにまぶしい。
ふらふらになって目眩がするくらい大変なことも多いけど、子供の仕草ひとつ、言葉ひとつで思わず笑顔になってしまうこともたくさんある。
やわらかな子供の頬に触れるとき。
細くてふわふわの髪に触って、ちいさな頭を撫でるとき。
真剣な顔つきで何かを食べているときのやわらかなくちびるを見るとき。
この時間がずっと続いたらいいのにな、と思ったりもする。
だけど、子供はいつかここから離れていく。
そのとき彼が描く絵が、のびのびとした、美しい絵になるように。
家族みんながそれぞれの場所で、豊かな絵を描けるように。
家庭とは、そのためのスケッチをしていく場所なのかもしれない。
———そんなふうに思ったら「家庭」をどういう場所にしたいかという問いに、自分なりの答えが見つかった気がした。
今、目に見えることにすべての答えがあるわけじゃなくて。
これから先で、家族それぞれが、のびのびと自由に線を引いて、たくさんの美しい色をのせていけるように。
そのためにスケッチや下描きを作っていく場所。
子供にとって。
そしてきっと、私や夫にとっても。
「家庭」が、そんな場所だったらいい。
もしかしたら。
私は今まで、家族みんなで一枚の大きなちゃんとした絵を作らなくちゃと、心のどこかで思っていたのかもしれない。
でもそうじゃなくて。
絵は、それぞれが自由に、好きな場所で描いたらいい。
だけど、そのときに気持ちよく線を引いたり色を塗ったりできるように。
下描きを、整えていく。
一日に何度も、部屋を整える。
おいしいご飯をつくって一緒に食べる。
何気ないことを話しながら「おもしろいね」「たのしいね」と思えることをたくさんたくさん、みつけていく。
たぶんそれが、私たちにとっての「下描き」になっていく。
そういう場所を、家族と一緒に作っていきたい。
1枚の絵を描くために、何枚も何十枚もスケッチを描くこともある。
使われない構図もきっとある。
ペンを入れたり、色をのせていくとき、下絵の線を思いっきり無視したくなることも、あるかもしれない。
それでもいいよ、と私は思う。
Sketchを、描くつもりで。
淡々と。
そして、わくわくを散りばめながら。
できるだけ豊かに、たくさん笑って。
この時間を一緒にすごしていきたいと、思ってる。
(子供とマスキングテープで一緒に遊びながらつくった、ちぎり絵。
きらきらとまぶしい、色のかけらたち)
読んでいただきありがとうございます◎ 日々のなかに、やさしさと明るさを、さがしていきたいです。