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餃子。

「今日は帰りたくない。」

この言葉の真意は誰もが知るところではあるが、返しに困る一言でもある。いい切り返しが出来る男ならばいいが、まぁそんな奴はそういない。この一言で関係が終わってしまうカップルもいるくらいだ。ならば「今日は帰りたくない」に代わる新しい、返しやすい、誰も損しないセリフを考えるべきではないか。長きに渡る検討の末導き出した答えはこれだ。

「餃子でも食べに行かない?」

冗談ではない。餃子は人を魅了する。熱々の鉄板で焼かれた餃子。サックリもちもちの皮を破ればアツアツの餡が肉汁と共に溢れ出し、これでもかと存在を主張する。ニラ、ニンニク、そして肉の暴力が瞬く間に口内を占領する。脳からはドーパミンが排出され、全身がヨロコビを覚える。こうなると人は止まらない。一つ、またひとつと餃子は消えていき、いくつかあったそれは一瞬にして消える。その守備範囲も偉大だ。ビールも白米もイケる。餃子はそれを生かし居酒屋から食卓まで幅広く進出し、そして人を洗脳する。

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解説しよう。なぜ「餃子でも食べに行かない?」なのか。
一つは返答が楽であるからだ。この文だと答えはイエスかノーである。よほどのバカでない限り「俺はカレーがいい」なんてことは言わない。イエスと答え、餃子屋に赴く。これだけでいい。なんて楽なんだ。
二つはそれが餃子であるからだ。このセリフを発するタイミング、場所、二人の関係性、好き嫌い等々、これらに合った食べ物にしなければならない。タイミングは夜中が予想される。となれば場所は市街地だろう。二人の関係性はある程度親しいことが予想される。そして、餃子が嫌いな人はそういない。夜中に食べる背徳感も伴ってガッつける食べ物でもある。ラーメンは重いと言う人もいるだろう。餃子をわざわざ食べに行ける二人の関係性も良好だ。つまりこの状況にぴったりな食べ物は餃子しかないのである。いや、餃子でなければいけない。

私はかつて、温泉に入っている時に呑みのシメに最も適した食べ物とはなんだろうかということを自問したことがある。牛丼はちょっと違う。寿司は高い。茶漬けは物足りない。かといってラーメンは重い。シャワーブースで深く考えていると、ボディーソープで頭を洗っていた。
ボディーソープで清められた俺の頭に「餃子」という天啓が降りて来たのはその後すぐだ。見た目こそ一口大の餃子だが中には肉の餡がギッシリ。ちょこっとサイズのがっつり感。まさに呑みの後の小腹が空いた状況にぴったりではないか。と。

歳をとり、餃子をあまり口にしなくなったのはいつ頃からだっただろうか。二十を過ぎ、酒を飲めるようになった今、無性に餃子が食べたいぞ。食べても食べても餃子がたべたい。だからどうした、餃子を食えよ。

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