伊藤武@斎藤清版画ギャラリー

福島県会津若松市で斎藤清版画ギャラリーを運営しているイトー美術( http://ito…

伊藤武@斎藤清版画ギャラリー

福島県会津若松市で斎藤清版画ギャラリーを運営しているイトー美術( http://itobi.sakura.ne.jp )の伊藤武と申します。 自分が生涯を託した作家とその画業をお知らせすると同時に、日々の雑感を思いつくまま書き留めたいとの思いで、noteをはじめました。

最近の記事

笑いの王国が日本に地歩を築いた

夏の暑さより、冬の寒さの方が、どちらかと言うと辛いが、いきなり冬本番の雪景色に見舞われ、第二波の寒波襲来で、大雪になり、耐え忍ぶ季節を迎えた。今季の先行きが思いやられる。近年、仕事の関連もあり、会津で過ごす事が多いが、過酷な季節に潜んだ情緒や人情の機微を未だに理解出来ていない。春爛漫、秋華秀麗さえも満喫していない様な気がする。今年も後、数時間。異常さを帯びつつも、悲喜交々の情感を伴いながら、来年以降も安閑と出来ない日々を過ごすことになると思うが、多少の余裕も持てなかったことを

    • サッカーのパスワークは、現代の人間関係にも応用できる

      サッカーのワールドカップ日本代表の試合が、11月23日午後10時〜(日本時間  )に迫っている。情報化社会のお陰で、それなりの知識を得て、気のおけない人と話をするのが楽しいが、交流範囲が狭く、レベルアップも図れない。今は、特に、コロナ禍の自粛で、唯一とも言うべき、サッカーだけでなく、スポーツ全般、芸能、社会、政治等について、語り尽くせる、高齢になってから友達みたいな存在になった二つ違いの兄と疎遠になっているのが寂しい限りである。そんな所為で、兄からコミュニケーションの手段をY

      • 秋の一日、評判の、道の駅を渡り歩く

        先日、山形県に出かけ、「米沢道の駅」に寄ってきた。買い物のビニール袋は、無料と表示してあった。大盤振る舞いされると、消費意欲が刺激される。以前から来県する時は、必ず、基点にしていた。品揃えが良く、野菜、果物も新鮮で補充も完璧である。特に、棒鱈の煮付けは、生臭さが少なく、酒を嗜む人や魚嫌いでない人には、甘じょっぱい味で独特の歯応えと後を引く食感がクセになる。日本各地の山国地域に出向いた折、この保存食を求めたが、米沢に優るものは少ない。数多くある、道の駅でも、東日本有数の売り上げ

        • 生命を賛美し憐憫の情を持ち、自然の荒廃を抑止すれば、まだ間に合うかもしれない

          今年は特に、春夏秋冬が混在し、三重苦以上の、つらい日々を過ごしてきた。それでも、行きつ戻りつを繰り返しながら 南北に長い日本列島各地で、四季を体感できるのは、ありがたかったし、自然復元力には感嘆するばかり。その感謝の念で、少しでも、自然に負荷をかけない生き方と自分自身、本来の生命力に基づいた体力を維持したい。 10日以上前、いつも繰り返し通る、僅かな段差に躓き転倒した。咄嗟に、手と膝で支えたが大事には至らなかった。ただ、右、手の平、下部左側を擦りむき、毎日、治り具合を気にし

        笑いの王国が日本に地歩を築いた

          特定のワードが気になる今日この頃

          依然、睡眠負債が続いており、克服する為の方策をあれこれ試している。そんな矢先、更に、眠りを妨げる要因が加わっている。スポニチを毎日見ているが、中央競馬の馬名が気になり出した。夢を託せるような感心する名前が少ないようだ。世相を反映しているのだろうか。ヌーディーカラー、カワチャンフェイス、ネバレチュゴー、ポポラーレウーノ、ハナハナグスト、テンテキセンセキ、チアチアクラシク、チカポコ、タターガタ、ハットグッドゲット、デルマウッチャリ、ノーエクスキューズ、アパラージタ、ラヴィダヴィ、

          特定のワードが気になる今日この頃

          郷里に対する思い入れと優しさが人口の流失を防ぎ日本の進路も決める

          先日、散髪に行きそびれていた。だいぶ前から、予約制になっていたし、コロナ禍でもあり、お盆の時期とも重なっていたが、やっと都合がつき、サッパリすることができた。しかし、店に合わせ、約束の時間通りに行かないと歓迎されないので、結構気疲れした。以前は、余裕があった。早めに行って、新聞、雑誌、漫画を読んだり、居眠りをして、時間がくるのを待ち、その場がくつろぎの時間、空間にもなった。 そう言えば、近頃、どこかへ行こうと思っても、直ぐに行動を取り難い。消費者が、先方の意向を踏まえ、合わ

          郷里に対する思い入れと優しさが人口の流失を防ぎ日本の進路も決める

          やっとワースト三品の食事に出会ったのは、幸せな食生活の証

          腹が立ち、終いには、笑ってしまうほどの不味さだった。先日、二、三年前から気になっていたCafe定食で昼食を取った。辛さも多少の甘味もないナポリタンがしょっぱ過ぎて、水を飲み飲み食べきった。人生80にして、ワースト三品の食事に出会ったのだから、これまでの食生活が、いかに恵まれていたかと言うことでもある。物心がついた1945年以降、戦後の厳しい時代を経て、これまで、ほぼ100%満足してきた。その環境と単に食いしん坊に過ぎないかもしれないが、美味しいものを追いかけるに長けた執念が続

          やっとワースト三品の食事に出会ったのは、幸せな食生活の証

          オンリーワンを自覚出来ない時代を生きる

          世の親は、子供が誕生するまでは、五体満足に生まれてくれば有難いと思い、誕生すれば、子育てに腐心する人も多い。自分の成功体験に鑑み、子供にも生き方を踏襲させ、いい暮らしをして貰いたいと思い、かたや、自分の越し方を反省し、子供にだけは、こんな親になってほしくないと願い、親と真逆の生き方を請う。他にもその親子なりに、見守られながら自由に育ったり、まったく野放し同然に育つ子供もいる。どの子供が幸せかは、子供の資質と受け止め方にもよるので一概に言えない。日本の子育てや教育に対する理念も

          オンリーワンを自覚出来ない時代を生きる

          生死選択の最中でも、この夏どうしても着たいものがあった

          香川照之の「昆虫すごいぜ」というNHK 地デジの番組がある。子供向けの教育番組なのだが、興味が尽きない。いい大人が童心に帰って昆虫採集に夢中になり、昆虫を通して、生命の偉大さ、尊さを語り、我々、大人でさえも鼓舞されることがある。先般、国蝶の岐阜蝶を追った時の昆虫愛、リスペクトがハンパではなかった。道中も欣喜雀躍し、積年の思いを手にする心情が溢れていた。ご本人も言っていたが、役者稼業。演技することも可能な事を垣間見せていたが、やらせでない言動が心を打つ。岐阜蝶の羽をそっと押さえ

          生死選択の最中でも、この夏どうしても着たいものがあった

          他の車を慮らずには、車らしく走れない

          今や、車による走行は、多くの人に、直接、間接拘る事で、無関心では、いられない。自分勝手に走行していたら、大混乱に陥るので、道路交通法で、一定の規則を設け交通整理をしているし、交通マナーを潤滑油にして、スムーズで気持ちのいい走行を目指している。しかし、現状では、何らかのストレスを受けたり、与えたり、憂鬱な気分を引きずることが多い。何故なのだろうか。 違反運転をすれば、罰金と行政処分が課せられるので、ルールは守らざるを得ない。それでも無用と思ったり、悪質な違反が跡を絶たないし、

          他の車を慮らずには、車らしく走れない

          蕎麦街道を車で走って改めて気づいたこと

          普通、蕎麦街道と言うと、道路沿いに少なくても数件の手打ち蕎麦店が点在しているのを想像することだろう。山形県の次年子蕎麦が食べられる国道347号近辺の村山市〜大石田地域はそんなイメージがあるのだと思う。何件かを比べることができる楽しみがある.長野県中央の戸隠は、おいでおいでをしているかのように次々に店が現れる。信州・伊那地域等は、予備知識がなくても、行きさえすれば、ひょっこり蕎麦店が現れるし、何とかなる。従って、新蕎麦の季節には、長野は全国区の話題にもなる。蕎麦文化圏から離れた

          蕎麦街道を車で走って改めて気づいたこと

          メディアは、事実か、忖度しないであるべき姿を示すしか生き残れない

          一ヶ月近く前だったが、NHK BS⓷チャンネル午後後10時より、七回連続ドラマ「今度生まれたら」の⓹⑥⓻を見た。古くて新しい問題。女性が意識する、結婚・出産・子育て・配偶者の転勤による自分の趣味やキャリア断念や夫の仕事や投資等の失敗・過ぎた道楽等により期待を裏切られた現状の、虚しさと後悔の念。男性が思うところの女性のボス化による、家庭での居場所のなさと閉息状況から脱したいと願う、いつまで経っても細やかであれば、やり直せるのではないかと思っている理念や情念。この二つの縦の流れに

          メディアは、事実か、忖度しないであるべき姿を示すしか生き残れない

          人生の大ピンチで動物本能が目覚め、脱出を試みていた

          人の死が報じられる度に、残念に思うことがある。寿命で、自然死を迎えた場合は、致し方ないが、死に至る過程で、救われる命もあったのではないだろうか。動物は、全ての行動が、生きる事に繋がっているのでわかりやすい。自然界では死に直面しても、動物本能による生命力や自然治癒力が勝れば、生命の復活があるし、弱ければ死に至る。人間は、地球上で無類の進化を遂げたお陰で、事は単純ではない。どこか患っていると、直ぐ、医療機関の治療や医薬品のお世話になるが、もっと動物本能や生命力を生かした治療があっ

          人生の大ピンチで動物本能が目覚め、脱出を試みていた

          カバー曲で、原曲の素晴らしさを再認識する

          あまりにも音楽を知らずに、又、触れる機会があっても、感性が鈍く、感化されず、少青年時代を通り過ぎてきた事を悔み、今になって、時間が許す限り、NHKの「The Songs」「COVERS」等で、興味ある歌い手の歌を聞きかじっている。以前は、布施明、ちあきなおみ、南こうせつ、中島みゆき等の歌唱力、歌詞、曲等一辺倒だったが、カバー曲を聞く事で、多様な歌の良さを認識し,歌詞が沁み入る様に入ってきたり、原曲のシンガーソングライターに辿り着き、改めて聞き惚れるなど、往ったり来たりしながら

          カバー曲で、原曲の素晴らしさを再認識する

          歳月と境遇の転変に人情の儚さを憂う

          情に疎く、知に乏しく、これといった趣味、道楽も無く、仕事にも、未だ達成感を持てない、半世紀以上、恣意的に、右顧左眄、唯唯諾々と生きて来た、友達もいない者が、人情を語るなんて、おこがましいかもしれない。しかし、以前から日常茶飯、その理不尽さが気になってる事がある。 著名人や芸能人が、テレビ番組に出演し、故郷等の親友に語りかける時に、我々視聴者が違和感を覚える事が間々ある。永い事、音信不通であったような趣が多く、相手の方は、気持ちよく応対しているが、子供や学生時代の話が多く、そ

          歳月と境遇の転変に人情の儚さを憂う

          「身近なことでも世界は繋がっている」

          今の日本では、法を守る・秩序を保つ・慣例、習慣に従う・社会常識に則るなど大半の社会人の考え方、行動規範が一定の方向で収まっているので、ある程度安心できる。しかし、皆がやるべきことを坦々と、こなしているだけでは、活力がないし、面白くない。人がその道や仕事、趣味、道楽、裏技、奥義を極め、他の追随を許さぬ業績を上げる事により、賞賛され、羨望の眼差しを受け、尊敬される。我々は、その都度、精神的な点滴を打たれ、元気になり、楽しんだり、励まされ、再び頑張る事が出来、その恩恵は測り知れない

          「身近なことでも世界は繋がっている」