慣れによって得られる手

この糸で作る玉編み、かっこいい。
柔らかい毛糸で作った玉編みは、引き締まる箇所とふくらむ箇所が明確で、ひとまとまりとなり、丸く愛らしくなりますが、毛糸より硬いレース糸で編むと、引き締まりもふくらみもせず、糸の軌道がくっきりと見え、玉編みの仕組みを浮かび上がらせます。
この糸で試し編みした時に、この玉編みが勾玉やペイズリーに見えたので、その方向から考え始めましたが、今真っ盛りの南天のように実を従えた葉っぱにも見え、また、建築装飾の「フランボワイヤン様式」という火炎状の模様にもソースを求め、いろいろな物に見立てて奮闘し、いくつかの図案を描きました。このいくつかの図案の中から、編んでみて美しく見えるものを選び出すので、出来上がるのはほんの1・2作品程度です。あれだけ時間をかけて、たった1点2点の仕上がりか... と意気消沈としますが、物作りとはそんなもんなのでしょう。

等しく糸を並ばせることが出来れば、整然とした美しさが表れます。これが難しい!!!

例えば、ごく普通の畳や竹カゴでも、揃った目はとても美しく見えます。美しく見えるようにデザインを施したわけではなく、ただルールにのっとって、規則正しく、手早くを繰り返した結果、整然とした美しさが表れるのです。柳宗悦が提唱した民藝の定義のいくつかは、長年の製作で培われたルールを示しており、それに従って製作した結果、整然とした美しさが現れ出でるのです。使いたいと希望するすべての人に行き渡るよう、大量に作られたものでも、それを繰り返すことにより得られる技術は、美しさにつながります。民藝と言われるものの中に見られる美しさは「繰り返し」が作り出しているといえますが、それは民藝に限らず、物作り全般に言えることです。

話が逸れましたが、ごく基礎の技術である玉編みも、等しく糸を並ばせ整えていくと、複雑で華やかな図案に劣らぬ美しさを作り出します。それには、繰り返しによって得られた慣れた手が必要でありますが、これに気づくのは、経験を重ねても幾分時間がかかります。物作りを続け、いっぱしの製作者になったつもりで、自分のやり方を確立しようと試行錯誤に時間を費やしても、問題点を追求すれば答えは結局基礎にあり、本当に必要なのはその基礎をこなす慣れた手であることが分かるのです。

上の画像は、底を上に向けた状態のもの。お釈迦ヘッドに見えますね。中央の丸い部分から編み始めるのですが、ここをうまく作らないと "菊の花" (肛門) に見えるので、気を使います.........

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2017年晩秋に出会ったビーズ編みに日々精進しています。

見つけてくれて、ありがとう!
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