飢餓の村で考えたこと 39.40

全ての栄養をご飯から

村人はどんな食生活をしていたのか。村で一番金がかからない食事とはどんなものか。満腹感が味わえて一番安い食事とは極力おかずを少なくしてごはんばかりを食べることだった。

お米に比べるとカレースパイス(スパイスは単品で買って各家で調合して使っていた)、ジャガイモ、玉ねぎ、しょうがなどはすべて割高だ。だからお金がない時は極限まで米の割合を増やす。

おかずがない場合はごはんと塩や唐辛子だけで食べることもある。食べ物がごはんだけに偏ってしまうので身体の方がごはんから身体に必要な全栄養素に変えようと働く。そのために人が1回で食べる量はすさまじく多量となる。これは信じられない量だ。

大食漢だった農民

私たちはコニカさんたちの集落3世帯からイスラムのお祝いの日に招待を受けた。3世帯の女性たちは皆ショミティ会員だった。招待してもらったお返しにその3世帯を夕食に招待することにした。

日本人駐在員が村人を招待するのはこれが初めてだった。この3世帯は各世帯に乳児1~2名ずつとあとは夫婦だけだった。ご主人たち3人は筋骨隆々の日雇い農民だ。村では人を招待したらお客が「もう食えません。参りました。」という位食べ物を振る舞うのが村の招待のルールだった。

私たちは料理人アハモッド君と相談して恥をかかないようにお客たちがどんなに食べてもいいように、有り余る料理を準備したつもりだった。アハモッド君は村人だからその辺のことは大丈夫だろうと高をくくっていた。

ごはんは高さ30㎝直径1mの大きなブリキのたらいに山盛りと、それに加えて大きなお釜いっぱいを炊いて準備した。おかずは豆カレーとメイン料理の魚カレーなどを準備した。子供たちや女性たちはプレートと言ってブリキのホーローの大きめの皿で食べた。

ご主人たちはアルミ製の大き目な洗面器(カレーを食べる用のもの)で食べた。私たち日本人駐在員は給仕の役目なのでどんどん注ぎ足していったが、間に合わないペースでご主人たちは食べた。全く予期していない展開だった。

なんと村では死にたいほどの恥とされる招待した我々が食べ物がなくなってギブアップする羽目になった。彼らは私たちの想定外の大食漢だった。この招待のことは今でも自分の記憶から消し去りたい出来事だ。

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