飢餓の村で考えたこと 55.56

料理人アハモッド君

 

村には私ともう一人の日本人駐在員が生活していたが料理作りは村の人を雇っていた。その料理人アハモッド君の年齢は十代前半で、小児麻痺が原因で彼の足は片足が10㎝位短くそして細い。サムスール君が彼を紹介してくれた。

料理人の採用面接ではサムスール君たちも加わってくれた。料理人は毎日近くのバザーで買い出しをし、料理をする。週1回隣町ギオールの大きなバザーに買い出しに我々について行って、買った荷物を運ばなければならない。隣町のギオールは歩いて30分ほどかかる。

その細い短い足で買った食材を籠に入れて運んでこれるのか、10ℓ以上入った素焼きの水がめを15m位離れた井戸から毎日汲んで運んでこれるのか、というような厳しい質問をサムスール君たちがしてくれた。

アハモッド君は「問題なくやれる」とそこは強く自己主張したので採用することにした。仕事ができるのかどうかの部分はたとえ障がい者でも手加減しないのがバングラ流のようだ。

厳しいかわりに同情されていないので、本人は胸を張って堂々と生きている。障がい者本人にとって同情されがちな日本とどっちがいいのだろうかとよく考えた。彼の家庭にはお父さんはおらず、お母さんと幼い弟と妹が1人ずついた。彼が一家を支えていた。

お金がなく食べ物がない時は、お母さんが村の人たちの家々を訪ねて物乞いをする。ほかの人々も飢えているのでそうはくれない。それでも一握りの小麦粉をもらったら、まず大きな鍋にお湯をいっぱい沸かしてその一握りの小麦粉を入れる。そうすると水よりもほんの少しだけとろみが出る。それを家族で飲んで飢えに耐えていた。

 

私を監視して!

 

アハモッド君は家が貧しかったために学校には行ってない。私は料理の合間に少しだけ計算や文字を彼に教えた。彼は誠実な人で「私が不正をしないようにしっかり自分を監視してくれ」と私に頼んだ。

彼は心優しいだけに食べられない家族のことを考えると、家族のために不正を働きたくなる自分といつも戦わなければならなかった。それで厳しく監視してくれと頼んだのだ。

 

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