飢餓の村で考えたこと 57.58.59

切り方を変えて

 

私はアハモッド君に一度だけ料理についてリクエストしたことがある。その頃は雨期だったので村で買える食材はごく限られていた。いつもなすびカレーしか出てこない。毎回調理法も同じのなすびカレーが出てくる。

私はこの村では食えるだけでも贅沢なのにと思いながら、思い切って料理方法の要望を言った。「輪切りのなすびカレーばかりではなく、たまにはなすびを縦切りにしてくれないかな」と。心でこの村でこんな贅沢を言ってごめんという気持ちでいっぱいだった。

 

ポイラ村の障がい者

 

アハモッド君と同じように小児麻痺が原因で片足が短くて細いショミティ会員がいた。彼女は2m位の竹を1本持って歩く。ショミティ会議がある時私とサムスールは会議に向かうところだった。

そこにその彼女が来たので私は彼女に歩くペースを合わせて一緒に歩こうとした。しかしサムスールは俺たちは先にいくよと言ってどんどん歩き出す。彼女の歩くペースは遅かったのでサムスールは先に行ったのだった。私は日本人だから彼女に同情心が出て一緒のペースで歩こうとしていたようだ。

ここでもどちらの対応の方が良かったのか考えさせられた。彼女には7歳位の弟がいた。彼女は手工芸品の仕事で村では珍しい収入のある女性となっていた。見ていると糸をよるために弟に指図して片方を持たせていた。私は彼女が威張って弟に指示しているように見えた。バングラでは障がい者に対する同情はほぼない。だからなのか彼女らは胸を張って生きていた。

 

船の競争

 

週1回ある隣町ギオールの大きなバザーではなんでも買うことができる。このバザーには近隣の村から大勢の人たちが押し寄せる。乾季の時は歩いて行くのだが、雨期になると小さな船で水路を通っていく。

船に乗ると空気が気持ち良くて自然にテンションが上がった。水路は大きな船から小さな船までギオールを目指す船で華やかだ。自分たちと同じくらいの小さな船が並ぶと「あの船に負けるな」と我が船の皆が声を上げる。

相手の船も臨戦態勢。皆で船を漕いで競争を楽しんだ。ギオールのバザーに行くのは売る人も買う人も小さな子供を除けば男性ばかりだ。日本人として考えると男性ばかりなのが異様に感じるが私はすぐ慣れてしまった。

ギオールにはまだ車が入って来ていなかった。車が通る舗装道路まではラバ(見かけは小さな馬)の馬車で1時間以上かかる。舗装道路から離れたギオールも、それよりもっと遠いポイラ村も車の騒音は一切聞こえない。しかしバザーの日はギオールから数キロ離れたポイラ村でも「ウォー」という人々の声が大きく聞こえていた。

 

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