飢餓の村で考えたこと 43.44

「ありがとう」の言葉

私たちがポイラ村にいた時期の村人は「ありがとう」(ベンガル語でドンノバットという)という言葉を使わなかった。初期の日本人駐在員はポイラ村で村人にドンノバットを連発したので、日本人駐在員のあだ名が「ドンノバット」となってしまっていた。

村の子供たちは私たちをよく「ドンノバット」と呼んだ。ポイラ村での1年以上の滞在中に「ありがとう」の意味でドンノバットを私に使った村人は一人もいなかった。

ありがとうの意味を持ってはいるが遠回しな言い方がある。それは直訳すると「少しも気にしないでください」という言い回しだが、これは1回だけ村人から聞いたことがあるだけだ。

だからポイラ村滞在当時は、ベンガル人はありがとうって言葉を使うのが嫌なんだなあと理解していた。それから十数年後、バングラに行って気付いたことがある。

彼らが「目」でしゃべっていることを。例えば物を買うとき値段を交渉して買うのだが交渉成立で購入しても本当はもっと高いんだけれどなあ、という強気な姿勢は崩さない。だからありがとうという言葉は使わない。そのかわりに目でありがとうと言っていた。

目で言っている声が聞こえてくるようになるとベンガル人は多くの場面で「ありがとう」と言っていることが分かってきた。ベンガル人はありがとうって言うことが嫌なわけではなく、言葉ではなく目で言っているのだ、きっと。

現在はどうかというと結構言葉で「ありがとう」というベンガル人が増えている。多分、外国に行ったことのある人が増えているのでサンキューのベンガル語訳で使っているのではないだろうか。

劇的効果の抗生物質軟膏とサルファ剤

私たちは病気の時に備えて抗生物質の軟膏とサルファ剤の錠剤をポイラ村に持って行っていた。ある時近所のお母さんが幼い娘の顔が大やけどしたと言ってきた。

事情を聴くと料理をしている時、つまずいた娘が煮えたぎった鍋の中に顔が入ってしまったとのことだった。娘は顔全体が焼けただれ、映画に出てくる四谷怪談のおゆわのような顔になっていた。

私たちは抗生物質の軟膏を患部に塗った後、サルファ剤の錠剤をつぶして粉にしてその軟膏にふりかけた。それを何回かしてあげた。やったのはそれだけだったが、焼けただれた顔が劇的に回復し普通の顔に戻ったのだ。

またある時顔見知りの中学生位の男の子が自転車でやってきた。自転車でこけて片足のかかとの側面が6㎝×4㎝位が深さ2㎝位えぐれていた。彼にも女の子と同じようにしてあげると彼もすぐ治ってしまった。

私は製薬会社時代に医者から「クロマイ(昔はどこの医院でも使われていた抗生物質の略称)は発売当初は本当に特効薬で劇的に効いたのに今じゃ全然効かなくなった」と聞いたことがある。抗生物質が殆ど使われていないポイラ村では抗生物質は劇的に効いたのだった。

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