衝突の先に

言葉として、相手にすごく極端に攻撃的に出ることがある。

いわれたほうは、これが最後通告だと思い、深く傷つき(例え平気そうでも)、極端な対応(たいていは関係の破局)をしてしまうけど、

実際言葉による極端な表明は第一ステップでしかなく、そこから関係を深められるのかもしれないと思う。

いままで我慢して、でも何かおかしい、不満だと思ってても、おかしいと言えなかった人が、だんだん見えてきて、それを言葉にできるようになったとき、いままでたまりにたまったものすべてが
たまりに溜まったエネルギーが、極端な言動になりある時口から発射してしまう、ということはよくあるのじゃないだろうか。

でもそれでその関係が終わってしまうとしたら、もったいないことだと思う。

そこまでにいたるまで、2人は関係を持続できた。それは環境のせい(つまりたまたま)かもしれないし、人間的にひかれる部分があったのかもしれない。お金が絡んだことだったかもしれない。でも人生のなかで特定の誰かと長い時間を過ごせるという相手は、それほど多くはなく、実に得難いことなんだ。

長い時間を過ごしたからこその、たまりにたまった言葉は、ある種のラブレターですらあると思う。
こんなにあなたのことを見てきました、という。

だから、そこで言われた側がまずやるべきは、謝ること。
そうしようとするとたいていその人は、間違ったことに対して謝るか、どこに対して謝ればいいかわからないという羽目になる。
なぜなら、わからないからこそずっとその人を傷つけたり追い詰めてきたわけだから。
必ず認識が間違っている。

極端な言動を聞いたときは、その認識を正すチャンスなんだ。
だから、まず、相手に謝りたいが何について謝ればよいか、申し訳ないがわからない。
と素直に打ち明けるべきなんだ。

そうすれば、きっとそこから普通の人間関係では得られない絆を得ることができると思う。

あきらめちゃいけない、試合はまだ終わってない。

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