プロローグ

『人生を変える幸せの腰痛学校』(プレジデント社)~プロローグ 真夏の昼の悪夢~ 全文無料公開中

八月の暑さをなめていた——。
私は駅前からタクシーに乗らなかったことを後悔し始めていた。
お盆明けの平日午後一時。炎天下の中を私はベビーカーを押しながら自宅に急いでいた。アスファルトの路上の気温はゆうに三十五度を超えているだろう。
ベビーカーに乗る生後八か月になる息子の体調が気になる。ぐずりはじめる前に一刻も早く帰らなければ。私は焦る気持ちをおさえながら、
「はいはい、暑いね〜、もうちょっとだからね。あと十分でお家に着くからね~」
と語りかけながらベビーカーをのぞき込もうと腰をかがめた瞬間のことだった。
「ズキッ—————!」
腰から左の大腿、足首にかけて鋭い痛みがつらぬき、思わず私はうめき声を上げた。

————え〜、うそでしょう? こんな時にまさかのギツクリ腰? よりによってココで? しばらく日陰はないし、人通りもない時間だよ。タクシーだって通りそうにない。もし、このまま動けなくなったら? この子が泣き出したら? 暑さと脱水で熱中症になってしまう! どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
頭がパニックになりかけたその時、不意に胸の奥から懐かしい声が聞こえてきた。

「まずは落ち着きましょう」
「深呼吸してみましょうか? ゆっくりと長く息を吐きます」
「目の前の一歩だけに集中するのです」
「いまの神崎さんなら大丈夫です」……。

そうだ。いまの私は”大丈夫″ということを知っている。あの日だってそうだった。あの時にくらべたら今日はなんてことはない。あと五百メートル歩けば家に着く。エアコンの効いた部屋で休める。私はそう自分に言い聞かせ、まずは一歩、足を前に出してみようと試みる。ゆっくり体重を乗せながらその重みを感じてみる。
「う、うっ……」
再び小さくギクリと腰がうずき、また思わず声がもれる。いや、大丈夫、大丈夫。私はさらに自分に言い聞かせる。今はとにかく意識を足の裏に集中させること。ゆっくり、ゆっくり。ほらまた一歩踏み出せた。そう、次の一歩も慎重に。息子の泣き声も聞こえない。一歩、また一歩。そう、その調子! 大丈夫、私はできる……。

こうしていつもなら十分かからない道のりを、汗だくになりながら40分かかって自宅にたどり着いた。家に着く頃には、まだ痛みはあるものの普通のペースで歩けるまでに回復していた。ぐずりかけた息子がいつの間にか眠ってくれていたのも不幸中の幸いだった。
久しぶりのギツクリ腰に最初は戸惑ったが、すぐに落ち着いて対処することができた。佐野先生に教わったことは、今でもちゃんと私の中に生きている。

五年前、私は人生のどん底にいた。なにをどうしても一向によくならない腰痛のために、未来のすべてを失ったかのように感じていた。そんな私に勇気と自信を取り戻させてくれたのが佐野先生とあの時出会った仲間たちだった。
私は、自分の人生を大きく変えてくれた「幸せの腰痛学校」での八週間の日々を懐かしく思い返していた。

人生を変える幸せの腰痛学校』(プレジデント社)
プロローグ~真夏の昼の悪夢~ 
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