憎悪があなたを殺す日

 Twitterに行きたくないなと思うのは、人を嫌いになりたくないからだ。無論人と接する以上は嫌いになるというリスクは避けられない。そのリスクを受け入れるか拒否するか、それで人付き合いも変化するように思う。人間、綺麗事だけでは生きていけない。
 私は作品を作る原動力が羨望だろうが憧憬だろうが傲慢だろうが反骨心だろうが何でもいいと思う。それがあなたを動かす源となるならいいのではないか。投げやりな言い方になるが、その通りじゃないか。
 しかしだ。憎悪ばかりは私は受け入れられそうにない。多分その人は無自覚にその人への憧れを悪い方に燃やして焦がしてしまったのかもしれない。その人がもう一方へあからさまな憎悪を向ける様を見て、今とても具合が悪い。共感する癖は自分の長所かもしれないが、私生活を揺るがす時もあるので、私からすれば欠点でしかない。
 その人は憎悪を向けて己の作品が向上すると思っているのだろうか。努力したか、なんて言葉は嫌いだが、あなたは人を恨んで妬んでまで何かに力を注げているのか。私は憎悪以外見当たらなくて、心を震わせるに相応しい執念すら見受けられなかったので、他人に押し付ける不幸に吐き気がしている。
 なんだって自由だ。言論に思想、自由が保証されている、と言われている。だからあなたがその人を恨もうが、その人が好きに何を言おうが勝手だ。私はどちらにも味方にするつもりはない。好きにすればいい。
 でも憎悪まみれで進展のない物語を私が愛せるかといったら、そうじゃないかもね。

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