「おかえり」

 私はリスペクトするバンドやアーティストがたくさんあって、たまにそれらについてぶつぶつ語ることがあるのだけど、今回は普段話すことのない人たちについて。

 夢かと思った。帰ってこないのではと不安になったことが幾度もあるのに、眞呼様はちゃんと、帰ってきた。



 deadmanと出会ったのは恐らく十三年前だ。私からしたらまだ数年しか経っていない気がしたのだが、記事を読むと彼らはその間ずっと活動を休止していた。新しいバンドをやったり、果ては政治家に転身したメンバーもいた。
 私が彼らを知ったのはFOOL’S MATEだったはずだ。記憶が朧気なので許してほしい。灰色のページでよく見掛ける彼ら、と言うよりは眞呼様のメイクがいつも気になっていたのだと思う。気になっていた。
 当時着うたが世に出始めた頃で、ビジュアル系の曲も少しだけダウンロードできて、私はその中で彼らの曲をひとつだけ見つけた。それが私がTwitterアカウントで乱用しがちな「in media」との出会いだ。
 そればかり聞いていた。働いていなかったし、登校拒否の延長でそれくらいしか買えなくて、ずっとそればかり聴いていた。声も独特で、私の知るビジュアル系とは少し、何かが違う。でもずっと聞いていられた。
 それから程なくして彼らは活動休止をしてしまった。相変わらず雑誌の後ろの、くすんだ色に載る彼らだったが、ラストステージの美しさはカラーじゃなくたって伝わってた。でも遅かった。私はそれから彼らの音源をゆっくりと集め出した。
 たまに海外チックな雰囲気も滲ませながら、眞呼様の歌や歌詞は優しくて、当時馬鹿みたいに病んでいた私は何度泣いたのだろう。美しくて夢みたいな歌ばかりだった。勿論fxckみたいな歌詞もあったけど。それはそれで好きだった。でも私は「聖者の行進」とか「色別の空虚」とか、じわじわと好きになった。   
 燃え上がるような好き、ではないが、平日の濛雨のようにしとしとと、じわじわと好きになる。
 その間に眞呼様が写真集を出した。ソロCDもあった。言葉が相変わらず優しくて、撫でられているような気になった。でもそれきりだ。音沙汰はない。一年に一度、眞呼様がTwitterを動かすくらいで、何をしているのかな、とか、心配になった。


 でもとうとう彼らは復活した。ライブでは恐らく眞呼様とaieさんしかいなかったのかな。私も晁直氏のInstagramで事を知ったので。でも眞呼様が歌ったのだなと思うと、こんなに嬉しいことはない。
 また来年には眠ってしまうらしいけれど、私は少なくとも「おかえりなさい」を言える世界で生きていいらしいので、何度でも言うと思う。

「おかえりなさい」

 久々の雨だから、こんな日は終夜灯でも聴いていたい。







 最後に。






 どうしたって笑っていたい。


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