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「楽しみなこと」で頑張れるようになりたい

最近これについてずっと考えてる……。

「〇〇が楽しみだから頑張ろう」と、
「××が楽しかったから頑張ろう」

どちらのほうが頑張れるか。

なぜ考えているのかというと、おそらく、
個人的には「〇〇が楽しみだから頑張ろう」のほうが健全なように思うからなんですよね……。

「××が楽しかったから頑張ろう」って、なんか義務感じみてる気がする。

「××を楽しんだのだから頑張らなきゃ」
みたいなニュアンスを含んでいる気がする。

でも「××が楽しかったから頑張ろう」のほうが頑張れてしまうのだ、わたしは。

死にたいな……、と思う時、

「〇〇があるんだから頑張ろう」
「〇〇を見ずには死ねない」

とはあまり思えない。
あ〜、〇〇はわたしの死にたさを和らげるほどには大切じゃないのかな、とか考えて落ち込む。

でも、経験したことを思い出すと、
「××を経験した記憶があるのに死ぬとかもったいなくない?」という気持ちがちょっと湧く。

(その××って、結構くだらないことではあるんですけどね……。推しユニットの世界初歌唱をこの目で見たんだから、とか、熊野三山巡ったんだから、とか、そんな感じ。そこまで大層ではない)

でも過去を思い出すと、同時に
「あの頃は今より元気だった」
「あの頃もっとこうしていれば」
とも思ってしまう。

だから、少しずつでも
「〇〇が楽しみだから頑張ろう」が得意な人間になっていきたいのである。

なお……、
「〇〇が楽しみだから頑張ろう」
と心から思えない場合、おそらくそれに付随して心配事(体調や金銭的なことなど)がある。

その点では「楽しみ」を客観視してより純粋な「楽しみ」にしていく必要がある。

頑張ろう。

草津に行ってきました。楽しかったです。

お読みいただきありがとうございました!

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