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旅をするように暮らせるか?

「暮らすように旅する」という言葉を見かけまして、あ〜いいなとは思うんだけれども、

自分がそうするのはおそらく当分無理なので、逆に「旅するように暮らす」ことができないか、と最近考えている。

そもそも「旅する」って何か?

「旅する」って、あえて定義するなら「寝食の場を定めず移動しながら生きる」みたいな感じ。

だけど、概念としての「旅」は、人生のたとえに使われるくらいだから、人それぞれ自由に決められると思うんですよね。

なので、たとえば文章を書いている限り自分は旅をしているのだと思ってもいいし、コーヒータイムがそれでもいいし、なんでもあり……。

つまり自分にとっての「旅するような暮らし」を見つけることが、「旅するような暮らし」の始まりなのである。


自分にとっての「旅」とは何か。

自分にとっての「旅」の要素のひとつに「非日常」がある。

──と、草津に行って思ったのだけど、草津に行くのは、実は3度目。

行ったことのある土地に何度も行くのが好き。
20代は京都にハマって、約10年間、年1〜2回通っていたりした。

新婚旅行で行った八丈島も、わたしは2度目。

つまりわたしは、生活圏外だけれども、何度も行ったことのある場所を訪れ、そこにさらなる非日常を見出すのが好きなのではないか。

それが自分にとっての「旅」なのではないか。

であれば、旅するように暮らすために、何も見知らぬ土地まで遥々行く必要はない。

そして自分の生活圏内について、それが生活圏内であるという思い込みを手放すことができれば、晴れて旅するような暮らしが始まる。

しかし、それはもちろん、映えたりとかしない。

写真を撮ってSNSに載せても、他人にとっては知らん人の近所だし、
身内にとっても、面白みのない見慣れた風景かもしれない。

自分にとっての「旅するような暮らし」は、自分の中にしかない。

自分の経験からさらに新たな一歩を踏み出すことこそが、この文脈における「旅」だから。

そう思うと「旅」ってあまりにも己と向き合うことに似ているけれど、やっぱり「旅」が好きなので、こんな心持ちで暮らしたい。


もうすぐ休職期間を終え、少し苦しい日々が始まる予定だけど、そんな日の朝も旅先での目覚めのように、わくわくできたらいいなと思う。

近所の畑に立ったプロペラと月。

お読みいただきありがとうございました!

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