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海賊ブラッド外伝~枢機卿の身代金(2)

 全ての顛末を語り終えたウォーカーが口を閉じても、聞き手達は興奮と感慨によってしばし言葉もなかった。

 ようやく吠えるような声で沈黙を破ったのはウォルヴァーストンだった。「カスティリャ野郎の悪どいやり口なんざ慣れっこのつもりだったが、こりゃガチで胸糞の悪い話だな。そのキャプテン・ジェネラル(司令官)にゃ船底くぐり[^1]をやらせたらいいんだ」

「なるたけじっくりと火炙りにしてやりたいね」イブレビルが言った。「そうでもしなきゃ、新キリスト教徒[^2]の豚は喰えないだろう」

 ブラッドがテーブル越しに彼に視線を向けた。「新キリスト教徒?」彼は鸚鵡返しに言った。「君は問題の人物を知っているのか?」

「いや、全く」そして元神学生は解説した。「スペインでユダヤ人が教会に迎え入れられる時には、名前を改める事になってるんですよ。ただ、何でも好きな名前を名乗っていい訳じゃない。木や植物にちなんだものと決まっています。それで素性が辿れるんです。この司令官はペレラと名乗っています。つまり梨の木だ。バルドロとペニャスコンは後付けでしょう。ああいう転向者に限って、やたらと『信仰の火』で脅しをかけるんですよ」

 ブラッドは再びキャプテン・ウォーカーを見た。

「君が我々にこの不快な物語を話してくれたのは、ゆえあっての事だろうか。我々に何らかの手助けを求めているのか?」

「いやぁ、予備の帆があったら分けてもらいたいだけですよ。頼みたいのはそンだけだ。もちろん代金は払うぜ。なにせなぁ、キショウめ!あんな帆を掲げたまんま航海を続けたら、襲ってくださいって言ってるようなもンだから」

「それだけなのか!てっきり、我々にハバナの司令官から君の奴隷の代金を取り戻してくれと頼まれるものと思っていたよ。我々自身の利益にちょっとした因果応報の興をそえる事でね。ハバナは裕福な都市だ」

 ウォーカーは彼をしげしげと見つめた。「からかってんのかい、キャプテン。俺はどうやったって不可能な事を頼むほど馬鹿じゃねぇぜ」

「不可能な事!」黒い眉を上げながらブラッドは言った。それから彼は笑った。「私にしてみれば、これは手ごたえのある課題といった処だ」

「手ごたえなんざありゃしねぇよ。あんたらはスゲェつわものなんだろうけどよ。けどモノホンの悪魔だってハバナの中に海賊船で乗り込むような無茶はしないぜ」

「ふむ!」ブラッドは顎をこすった。「だがしかし、件の総督には教訓を与える必要がある、バッドセス(奴に災あれ)。それに泥棒から略奪するというのは魅力的な冒険だ」彼は仲間達を見た。「これから彼の処に挨拶に向かおうと思うのだが、どうだね?」

 ピットは即座に反対した。「正気の沙汰じゃありませんよ。貴方はハバナを知らないんだ、ピーター。この新世界で難攻不落と言っていいスペインの港はハバナですよ。このカリブ海全域であれより手強い護りの港はないって事は、キャプテン・ドレイクの頃から[^3]知られてる」

「そいつは掛け値なしの事実だよ」ブラッドの言葉に血走った目を一瞬だけわずかに光らせたウォーカーが言った。「あそこは兵器庫みてぇなもんだ。入口は海峡のすぐ近くで差し渡し半マイルもないし、モロ、プンタ、エル・フエルテの三つの要塞が護ってる。あそこに入ったら、一時間も経たずに沈められちまうだろうよ」

 ブラッドは思いにふけるような目をしていた。「だが、君は数日間あそこにいた」

「アイ。けどそりゃ、偶々そういう状況になったってだけの話だ」

「主のお陰をもってね。状況というのは自らが作り出すものではないのかな?こういう事は初めてではない。考えるだけの価値はあるな、これ程興味をそそる企てもそうそうあるまい」

「それは」と大司教の航海旅行による絶好のチャンスを見送る事を納得していないイブレビルが言った。「貴方が妙な感傷を捨てればすぐ解決しますよ。新世界の首座大司教はまだ洋上にいます。彼の身代金はハバナの略奪で手に入る儲けより少ないはずはありません。彼に同国人の罪を贖わせてやりましょうや。キャプテン・ウォーカーがかすめ取られた奴隷の代金を埋め合わせる金は、その中から出してやればいいんです」

「違いねぇ、それでいきましょうぜ」と異端者であり、如何なる冒涜行為にも臆する事のないウォルヴァーストンが言った。「大司教に任命されたってだけのスペイン人相手に無闇と畏まるなんざ、サタン相手に灯明を供えるようなもんさね」

「それだけじゃありません」ふいの思いつきでもう一人の異端者であるピットが言った。「俺達の貨物室に大司教が納まっていれば、要塞の事を心配せずにハバナ港に入り込めますよ。連中には高位聖職者の乗った船は絶対に砲撃できません」

 ブラッドは黒い鬘(かつら)の巻き毛をもて遊びながら何事か考え込んでいた。彼はひとり微笑んだ。「私も同じ事を考えていた」

「そうでしょうとも!」イブレビルが得意げに言った。「信仰上の呵責が理性に屈しつつある訳だ。有難きかな」

「正直に言おう、キャプテン・ジェネラル(司令官)の地位にある盗人から略奪品を搾り取るこの企てが、いささかの涜聖行為――あくまでほんの少しだ、いいかい――にあたる事を否定はしない。だが、そう、これは実行可能に思われる」彼はだしぬけに言った。「キャプテン・ウォーカー、もし我々と共にこの企てに参加して君達が失ったものを取り戻す気があるならば、そのグアルダ・コスタ(海岸警備船)を沈めてアラベラ号に部下達と共に乗り込むのが最善だ。作戦が完了した暁には、君達の帰りの船は提供するので安心して任せたまえ」

「おいおい!」無頼なちびの奴隷商人は叫んだ。彼の荒くれた気性は大きな驚きの影に沈んでいた。「アンタ、マジで言ってるんじゃないよな?」

「大真面目という訳ではない」キャプテン・ブラッドは言った。「ちょっとした酔狂だ。だが、私の酔狂はそのドン・何とか・ペレラにとっては高くつくだろう。さて、君は我々と共にハバナに向かって、財産を取り戻し船倉に皮を一杯に積んだ大型帆船に乗って帰還する可能性を掴むか。あるいは望み通りに船の帆を一式手に入れて、手ぶらで帰るか。選ぶのは君だ」

 ほとんど畏怖するように彼を見上げたキャプテン・ウォーカーは、このバッカニア(海賊)の溢れる生気と大胆不敵な血気に圧倒された。彼の内にある冒険好きな心がその問いに答えた。やってやる、コイツはあの偽誓野郎の司令官に借りを返させてやる絶好のチャンスじゃないか。

 だがイブレビルは眉をひそめた。「しかし大司教はどうするんです?」

 ブラッドは引き締まった唇に微笑を浮かべた。「そうだ、大司教だ。大司教なしには始まらない」彼はピットに向かい命令を伝えたが、それにはブラッドがこの時点で既に目的だけでなくその実現方法までを完全に決定していた事実がうかがわれた。「ジェリー、セント・クロイ島に針路をとってくれ」

「なぜです?」イブレビルが尋ねた。「あそこは我々が猊下に追いつく地点よりずっと東ですよ」

「確かにそうだ。だが『一時に一事を』と言うだろう。我々が必要とするはずの装備がいくつかあるが、セント・クロイ島に行けばそれが揃うはずだ」



[^1]:船内で重罪を犯した者に与えられる刑罰であり、ロープで縛られた上で船底を左舷から右舷側へと罪人をくぐらせる。当然、溺死率は高い。

[^2]:レコンキスタ後に他宗教からキリスト教に改宗した者を指す。ユダヤ教からの改宗者は「コンベルソ」、イスラム教からの改宗者は「モリスコ」と呼ばれた。スペイン異端審問所の設立は新キリスト教徒の増加が契機であり、初期は彼等の「信仰を確認」するのが目的だった。

[^3]:1586年、十四隻の大船団を組んでハバナ略奪に挑んだキャプテン・ドレイクは、何故か数発の砲撃を行ったのみで帰還した。

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