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海賊ブラッド (16)罠

 マドモアゼル・ドジェロンの事件は、至極当然な成り行きとして、既に良好であったキャプテン・ブラッドとトルトゥーガ総督との関係を更に深める役割を果たした。カヨナ港の東に位置する雄大で華麗な庭園の中にムッシュー・ドジェロンが築いた、緑のジャロジー(板簾)付きの窓がある美しい石造りの大邸宅において、ブラッドは賓客として迎えられるようになった。ムッシュー・ドジェロンはブラッドに対して、マドモアゼルの身代金として負担した銀貨二万枚よりも多くの借りを感じていた。このフランス人は、抜け目なく手強い商売人ではあるが、しかし気前良く振舞う事もできれば感謝を知る男でもあった。今や彼は可能な限りのあらゆる手段でそれを証明し、そして総督の強力な保護を得たキャプテン・ブラッドの名声は、バッカニア(海賊)達の間で一気にその頂点へと達したのであった。

 そのような次第で、元来はルバスールの計画であったマラカイボ襲撃の為に船団を組むに際しても、彼は参加を希望する船にも乗組員にも不自由しなかった。彼は総勢五百名の冒険家を募ったが、より大きな収容力を有していれば数千の人員を参加させていたかもしれない。同様に、自分の船団規模を二倍に増強する事も難なく可能であったはずだが、しかしブラッドは現状維持を選択した。彼が厳選した三隻の船は、まずアラベラ号、そして今は百二十名ほどのフランス人支隊が乗るラ・フードル号、最後はサンティアゴ号改めエリザベス号、これは再装備された上で、かつてその配下の船乗り達がスペインの高慢な鼻をへし折ったイングランドの女王にあやかって、キャプテン・ブラッドにより名づけられた。英国海軍での経験を買われたハグソープはブラッドからエリザベス号の指揮を任され、その人事は乗組員達に承認された。

 マドモアゼル・ドジェロン救出の数ヶ月後――同年1687年8月――ここでは割愛するいくつかの小規模な冒険の後に、この小船団はマラカイボの広大な湖まで侵入し、スペインの支配圏内にある富裕な都市に襲撃を行った。

 必ずしも事は希望していたように進まず、ブラッド一味は気づけば危険な状況にあった。これはカユザックの発言――ピットが綿密に記録している――によって最も的確に言い表されているが、その発言がなされた諍いは、キャプテン・ブラッドが罰当たりにも兵達の詰所に割り当てていたヌエストラ・セニョーラ・デル・カルメン教会の階段上で勃発したものであった。既に記したように、ブラッドは己に適する時だけのパピスト(旧教徒)なのである。

 その言い争いはハグソープ、ウォルヴァーストン、ピットの三名に対して、不安に駆られたカユザックが仕掛けたものだった。彼等の背後は太陽が照り付ける埃まみれの広場であり、その外周をまばらに縁どっている椰子の葉は酷暑で力なくうなだれ、そこに集まってきた両陣営に所属する二百人の荒くれ者は、一時だけ己の興奮を鎮めて自分達の代表が交わす会話に耳をそばだてた。

 どうやらカユザックは我を押し通すつもりらしく、彼の大っぴらで痛烈な批判が場の全員に聞こえるように、耳障りで不平がましい声を殊更に張り上げた。ピットが後に伝える処によると、彼はかなり卑俗な類の英語で話したらしいのだが、それを記述によって再現する労はとられていない。カユザックの衣装は彼の話す言葉と同じく調子外れなものだった。それは彼の稼業を一目瞭然に示すものであり、ハグソープの落ち着いた服装やジェレミー・ピットのほとんど気障に近い洒落た身なりとは、滑稽なまでに対照的だった。血痕が染みついて汚れた青い木綿のシャツは、毛深い胸に風を当てる為に前をはだけ、ブリーチズ(膝下丈ズボン)に巻いた帯にはピストルとナイフを挿し、肩からひっかけた革の剣帯にはカットラス(舶刀)が吊るされていた。東洋人のように幅広くのっぺりした顔の上では、ターバン代りの赤いスカーフが頭を包んでいた。

「俺ぁ、ハナっから妙に調子良くいき過ぎじゃねえかって言ったよな?」悲嘆と激怒の相半ばする調子で彼は迫った。「俺は馬鹿じゃねぇぞ、ダチ公よ。俺にはちゃんと目ン玉がついてるんだ。そいつで見たんだよ。湖の入口に放棄された要塞があった。俺達がそこに入った時、こっちを撃ってくる奴は一人もいなかった。そン時から罠じゃねえかって疑ってたんだよ。目ン玉と脳ミソのある奴なら、誰だってそう思うんじゃねぇのか?けっ!俺達は、はるばるここにやってきた。で、見つけたものは何だ?街だ、要塞と同じに放棄された街だよ。金目の物を根こそぎ引き上げて、住人が消えた街。俺はもういっぺん、キャプテン・ブラッドに言ったんだぜ。こいつは罠だってな。俺達はここに侵入した。毎度のようにやってきて、何の抵抗もなしにスイスイ深入りした挙句、もう一ぺん海に出ようとしても遅過ぎる、後戻りできないって気づくんだ。でも誰も聞きやしねぇ。お前ら皆、わかってるんだろ。やれやれだぜ!キャプテン・ブラッドはどんどん先に行くし、俺達も進み続ける。俺達はジブラルタルまで行く。それで散々時間をかけた挙句に副総督を捕まえる、だな。俺達は副総督からジブラルタルの身代金をたんまりいただく、だな。俺達は銀貨二千の身代金と略奪品を持ってここに帰ってくる、だな。けど、そいつは一体何だ、教えてくれよ?それとも俺がズバリ言ってやろうか?ひとかけらのチーズ――ネズミ捕りの中のひとかけらのチーズ――さ、そして俺達はちっこいネズ公って訳だ。こん畜生!そして猫――俺達を待ってる猫どもだ!その猫はスペインの戦艦四隻だ。奴等はこのラグーン(礁湖)のボトルネックの向こうで俺達を待ち受けてる。モー・ド・デュ!こいつはお前らのいかした大将、キャプテン・ブラッドの忌々しい頑固のせいさ」

 ウォルヴァーストンは笑った。カユザックは怒りで激発した。

「アー、サンデュ!テュ・リ、アニマル?(ああ、こんちくしょう!笑いやがるか?このケダモノめ)お前らは笑うのか!だったら俺に説明してみろ。ムッシュー・スペイン海軍提督に降参せずに、どうやったらもう一ぺん外海に出られるってんだ?」

 階段の下に集っていたバッカニア達から賛意を示す険悪などよめきが上がった。巨漢のウォルヴァーストンは単眼をせわしなくぎょろつかせ、反抗をそそのかしたこのフランス人を殴りつけようとする素振りで大きな拳を堅く握り締めた。しかしカユザックはひるまなかった。場の雰囲気が彼を調子づかせていた。

「お前等は多分、あのキャプテン・ブラッドを神様みたいに崇めてるんだろうがな。奇跡だって起こせるって、な?ありゃ、阿呆だよ、いいか、あのキャプテン・ブラッドはよ、奴の威信がありそうな雰囲気も、奴の…」

 彼は言葉を切った。丁度その時、教会から威信とその他諸々をまといつつ、ピーター・ブラッドが悠々とした足取りで歩み出てきたのである。彼と共にいる屈強で長い脚をしたイブレビルという名のフランス人シー・ウルフ(海賊)は、まだ若いが自分の船を失ってブラッドの下につく事になる以前から、既に私掠船の指揮官として勇名を馳せていた男だった。論争中の一団に向かって歩いてくるブラッドは長い黒檀の杖を軽くつき、つばの広い羽飾り付きの帽子によって、その顔は陰になっていた。一見した限り、彼にはバッカニア(海賊)らしい処は全く見当たらなかった。彼はザ・マル(ロンドンの遊歩道)かアラメダ(スペインのポプラ並木)――後者については、金糸で刺繍されたボタンホールのある、菫色をしたタフタの優雅な上下がスペイン風の仕立てであった為なのだが――でもぶらついているような風情であった。しかし柄頭に軽く添えた左手に押されて背後に突き出ている長く質実剛健なレイピアが、その印象を改めさせた。それに彼の鋭い両眼を加えれば、この男が危険な道を厭わず進む人間である事は語らずとも見て取れた。

「君は私が阿呆だと悟ったらしいな、カユザック?」既に怒りが霧散した様子のブルトン人の前で足を止め、彼は言った。「では、私が君について悟った事も話すべきだろうな?」うんざりしたという風に彼は静かに告げた。「君は彼等に我々がぐずぐずしていたと、そしてそれは我々に危険をもたらした遅れだと話していたのだろう。だが、その遅れは誰のせいだ?我々はこの一ヶ月、するべき事をしていた。だが君はこの一週間、無為にうろつき回る以外の何をしていたのだ」

「ア・サ!ノン・ド・デュ!俺のヘマだとでも…」

「ラ・フードル号を湖中央の砂州に乗り上げて座礁させたのは、君のミスでなければ何だというのだ?君は水先人に従わなかった。君は自分のやり方を過信した。君は測深すらしなかった。その結果、君の部下と装備を運ぶカヌーを手に入れる為に、我々は貴重な三日間を失ったのだ。その三日がジブラルタルの住民に、我々がやってくるのに気づく時間だけでなく、逃げる為の時間まで与えてしまった。その後に、そしてその為に、我々は忌々しい要塞まで総督を追うはめになり、その要塞を鎮圧する為に二週間の時間と百人の手勢が失われた。これがグアルダ・コスタ(海岸警備船)からの連絡を受けたスペイン艦隊がラグアイラからはるばるやってくるまで、我々が如何にしてぐずぐずしていたかの顛末だ。そしてもし君がラ・フードル号を失っていなければ、そして我々の船団が三隻から二隻に縮小していなければ、この段階にあっても、我々は確実に勝算のある戦法をとる事が可能であったはずだ。それでも君は、ただ自分自身の失態の結果に過ぎない状況について、我々を居丈高に非難しするつもりかね」

 彼が自制を失わずに語ったのは賞賛に値する、という筆者の評価は、以下に説明する状況を知る者ならば必ずや同意するであろう。その圧倒的な戦力に基づく泰然とした自信をもって、マラカイボ大湖のボトルネック(狭い水路)の出口を監視し、キャプテン・ブラッドの出現を待ち受けているスペイン艦隊、それは彼の宿敵であるスペイン海軍提督、ドン・ミゲル・デ・エスピノーサ・イ・バルデスに率いられていた。この海軍提督は、祖国に対する義務だけにとどまらず、読者諸賢も御承知のように、一年前のエンカルナシオン号内の顛末と実弟ドン・ディエゴの死によって、個人的な遺恨も抱いていた。そして彼と行を共にする甥のエステバンは、その執念においては提督以上の熱量を持っていたのである。

 だが、この全てを承知しても尚、危難という言葉でも生ぬるいほどの状況を呼び込んだ張本人の怯懦による逆上を非難するに際して、キャプテン・ブラッドは冷静を保つ事ができた。ブラッドはカユザック個人との会話から、バッカニア達に向けた演説へと切り替えた。男達は話を聞こうと近くに寄ってきていた為に、声を高める必要もなかった。「これで、諸君を悩ませていた誤解のいくらかが正された事を願う」彼は言った。

「やっちまった事をあれこれ話したって、何の足しにもならねぇだろうが」辛辣を通り越して、今や陰鬱な調子でカユザックは叫んだ。するとウォルヴァーストンは大笑した。「頭を悩ますべきなのはこれだな。これから俺達がやるべき事は何か?」

「当然だ、今、考えるべきはそれ以外にない」キャプテン・ブラッドは応じた。

「けどよ」カユザックは言い張った。「スペイン海軍のドン・ミゲル提督は言って寄こしてるんだぜ、もし俺達が街に損害を与えずに、捕虜を解放して、ジブラルタルで奪った獲物も全部置いて直ちに出発するなら、外海への安全な通行を保障するって」

 ドン・ミゲルの言葉に如何ほどの値打ちがあるのかを熟知しているキャプテン・ブラッドは、静かに微笑した。カユザックに対して軽蔑もあらわに言葉を返したのは、同じフランス人のイブレビルだった。

「そいつは、この不利な状況に追い込んでもまだ、あのスペインの提督が俺達を恐れている証拠さ」

「そいつは俺達の本当の弱みが気づかれてないってだけだろう」彼は荒々しく反駁した。「とにかく、俺達は向こうさんの条件を受け入れなきゃならねぇ。俺達に選択の余地はない。これが俺の意見さ」

「なるほど、だが私の意見とは違うな」キャプテン・ブラッドは言った。「だからこそ、私は彼の申し出を拒絶したのだ」

「拒絶しただって!」カユザックの大きな顔は紫色になった。背後で男達が口々に不平を鳴らす声が彼を煽った。「断ったって?もう断っちまったのか――俺に一言の相談もなく?」

「君との意見の相違は決定に影響を与えない。君は多数決で負けていただろう、このハグソープも私と同意見だからね。とはいえ――」彼は話を進めた。「もし君と子飼のフランス人の部下達がスペイン軍の申し出に乗りたいというのなら、我々が君達を妨げる事はない。それを告げる為に、君の捕虜から一名を選んで提督の許に送るといい。ドン・ミゲルは君の選択を歓迎するだろう、君達は命拾いするかもしれんな」

 カユザックは一瞬、無言で彼をにらみつけた。それから自制すると落ち着いた声で尋ねた。

「正確には、キャプテンはあの提督になんて答えたんです?」

 微笑がキャプテン・ブラッドの顔と目を輝かせた。「私は彼にこう答えた。二十四時間以内に、我が船団の通過の阻止もしくは出発の妨害を中止して我々が沖に出る為に水路を譲り、マラカイボの身代金として銀貨五万を差し出すべし。さもなければ、我々はこの美しい都市を灰燼と化した後に出港し、貴艦隊を壊滅させると」

 その倣岸はカユザックを唖然とさせたが、しかし広場にいた英国人海賊の多くは、罠の中から罠猟師に厚かましい条件を突きつけるような不敵なユーモアを認めていた。彼等から笑いが漏れた。それは喝采の渦となって広がった。何故ならば、ブラフとは全ての冒険家が尊ぶ武器なのだから。皆がそれを理解した今、カユザックのフランス人部下達さえもが陽気な熱狂のうねりに巻き込まれ、遂には、尚も攻撃的な強情を保っているカユザックは唯一の反対者となっていた。彼は屈辱を感じつつ引き下がった。この翌日に報復がなされるまで、彼の心は癒される事はなかった。その報復はドン・ミゲルからの使者が携えた手紙という形でやってきた。その中でかのスペイン海軍提督は、名誉ある寛大な降伏条件の申し出を拒絶した海賊どもを大湖の入り口で待ち構え、彼等がそこから顔を出した瞬間、即座に殲滅攻撃を加えるであろうと厳粛なる神への誓いを記していた。そして彼が出撃を遅らせているのは、五隻目の船、ラグアイラから増援として派遣されてくるサン・ニノ号を待つまでの間であり、戦力の増強が完了次第、ドン・ミゲル自らブラッドを捜索する為にマラカイボに侵入するであろう、とも書き添えてあった。

 今度はキャプテン・ブラッドが短気を起こす番だった。

「これ以上、私を煩わせるな」再び噛みついてきたカユザックに彼は厳しく告げた。「ドン・ミゲルには、君が私と袂を分かったという報せを送りたまえ。奴は君に安全通行権を与えるだろうよ、奴の言葉は悪魔の約束に引けを取らぬくらい信頼に足るからな。それからスループ帆船の一隻に乗り、君の部下達に命じて海に向かうがいい、悪魔と共に行ってしまえ」

 この問題について部下達の意見が統一されていたならば、カユザックは確実にその道を採っただろう。しかし彼の部下達は、貪欲と懸念の間で引き裂かれていた。ここを去るとすれば、彼等は既に確保していた少なからぬ略奪の分け前を諦めなければならない。奴隷や捕虜達も同様である。彼等がその選択をしたとして、その後にキャプテン・ブラッドが策を用いて無傷で脱出したならば――彼の知略を考えれば、どれほど有りそうにない事態でも不可能とは言い切れなかった――ブラッドは彼等が放棄したお宝を我が物とするだろう。これは想像するだに、あまりにも忌々しい可能性だった。そのような次第で最終的には、カユザックが言葉を尽くしたにもかかわらず、彼等はドン・ミゲルにではなくピーター・ブラッドに降伏する結果となった。彼等は断言した。自分達はブラッドと共にこの作戦に参加した以上は、彼と共にでなければ去る事は有り得ないと。それがこの日の夜、カユザック自身の不機嫌な口を通してブラッドが受け取った、彼等からのメッセージであった。

 ブラッドはそれを歓迎し、それから丁度今、開かれている会議にカユザックも参加するようにうながした。それは、これから採るべき手段を検討する為に開かれていたものだった。この会議は総督邸――キャプテン・ブラッドはここを我が物として使用していた――の広いパティオ(中庭)で開かれており、そこは外界と隔絶した石造りの庭で、中央にある葡萄棚の下では噴水が涼やかにきらめいていた。両側にはオレンジの樹々が茂り、夕暮れの大気中にはその香りが濃厚に漂っていた。これはムーア人の建築家がスペインに紹介し、スペイン人が新世界に持ち込んだ、快適な建築様式の一つだった。

 総勢六名の出席者による会議は、夜遅くになるまでキャプテン・ブラッドの提唱する作戦について検討した。

 両岸を囲む雪を頂いた山脈から二十の川が注ぎ込んでいるマラカイボの広大な淡水湖は、長さ約120マイル、幅も最も広い場所は概ね同じ距離があった。それは――既に述べたように――海に向かって口を空けた、細首のある巨大なビンの形をしていた。

 このボトルネックを越えた先は再び広がるのだが、次には海峡と交差するように伸びたビジリアスとパロマス[註1]という二つの細長い陸地が行く手を塞いでいた。如何なる喫水の船であれ、沖に出ようとすれば、この島々の間の狭い海峡にある唯一の水路を通らざるを得ない。全長約10マイルのパロマス島は、両側半マイル以内に近づくのは至難の業であり、辛うじて最も浅底の船が最東端に近接する事ができるのみであった。そのパロマス島最東端とは、狭い水路を通って沖に出ようとする船を漏れなく見張る事の可能な大要塞が立つ場所であり、ブラッド達は彼等の到着後すぐに、その要塞が放棄されている事に気づいていた。この水路と砂洲の間のやや広い水面には、四隻のスペイン艦が可航水路のど真ん中で錨を下ろしていた。既に登場済みのドン・ミゲル提督が乗るエンカルナシオン号は四十八の大砲門と八つの小砲門を備えた強力なガレオン船。その次に重要なのが三十六砲門のサルバドール号。残る二隻、インファンタ号とサン・フェリペ号は、やや小型の艦船とはいえ二十砲門搭載、一隻につき百五十人の兵が搭乗している充分に手強い相手だった。

 このように待ち構えている危難を潜り抜けようとしているのがキャプテン・ブラッド率いる船団であり、彼自身の乗る四十砲門のアラベラ号を旗艦とし、二十六砲門のエリザベス号に加えて、ジブラルタルで捕えたスループ船二隻にそれぞれカルバリン砲(18ポンド砲)四門を搭載して一応の武装を整えたという編成であった。ブラッド船団に搭乗している戦力は、トルトゥーガ島で集めた五百人中の生き残りである丸腰のならず者四百人、対するドン・ミゲルのガレオン船には、完全武装した千人のスペイン兵が配備されていた。

 キャプテン・ブラッドが会議に提出した作戦計画は、カユザックが歯に衣着せぬ表現を用いて評した通り、破れかぶれの策だった。

「まぁ、確かにその通りだな」キャプテンは認めた。「だが私は、この程度の無鉄砲な策なら何度も実行してきた」悦に入った様子で、彼は幾樽かを確保しておいたジブラルタル名産の芳しいサクルドテス・タバコを詰めたパイプを咥えた。「そして、その度に作戦は成功したのだ。アウダセス・フォルトゥナ・ユウァト(天は勇敢なる者を助く)。ビダッド(主よ)、いにしえのローマ人達は世の真理をよくわかっていた」

 ブラッドの気鋭はカユザックをも含む部下達にも吹き込まれ、一同は意気盛んに忙しく働いた。それからの三日間、バッカニア達は日出から日没まで、脱出作戦の準備を完了する為に精を出し、汗を流した。時間の猶予はなかった。ドン・ミゲル・デ・エスピノーサの艦隊がラグアイラから増援にやってくる五隻目のガレオン船サン・ニノ号と合流するより前に、攻撃にかからなければならないのだ。

 彼等の主な作業は、ジブラルタルで確保した二隻のスループ船のうち、キャプテン・ブラッドの作戦案で主要な役割を担う大型の船を対象としていた。手始めに、バルクヘッド(隔壁)を取り壊して外板をむき出しにし、両舷に夥しい数の穴をこじ開けて、ガンネル(舷縁)を格子状の外観に変えてしまった。次に彼等は甲板にスカットル(小型昇降口)を半ダース増やし、その間にも船体の中にタールとピッチ[註2]、更に街で見つけてきた硫黄を一杯に詰め込み、左舷側に開けた穴には6バレル分の火薬を砲のように並べて設置した。四日目の夜、全ての準備が完了して総員が乗船すると、空っぽな楽しき街マラカイボは遂に放棄された。しかし彼等は午前0時になり、更に二時間が過ぎるまで錨を上げなかった。それから遂に、最初の干潮で、熱帯夜の紫闇の中に彼等を導くように吹く微風をはらんだスプリットセイル(斜桁帆)だけを残し、全ての帆を巻き上げた状態で、彼等の船団は砂州に向かい静かに流れに乗った。

 作戦に基づいた彼等の船列は次の通りである。先頭を進む即席のファイアシップ(火船)はウォルヴァーストン率いる六名の志願者が乗り込み、彼等には略奪の分け前に加えて、それぞれが特別報酬として銀貨百枚を受け取る契約になっていた。次がアラベラ号である。その後に距離を置いて、ハグソープが指揮をとり、今は自船を失ったカユザックと彼のフランス人部下の大部分が同乗するエリザベス号が従った。しんがりは二隻目のスループ帆船と八艘のカヌーであり、どちらも中には捕虜と奴隷、獲得した略奪品の大部分が収容されていた。捕虜達は全員拘束され、マスケット銃を携えた四人の海賊によって警護されており、更にカヌーを操縦する為に二名が配置されていた。彼等の持ち場はしんがりであり、今回の戦闘には参加しないはずだった。

 オパール色をした夜明けの最初の微光が闇を溶かした時、バッカニア達には前方わずか4分の1マイル以内に停泊しているスペイン艦の帆装を視認する事が可能になった。スペイン人の常として、そして圧倒的な戦力への過信によって、既に習慣化している無頓着な警備以上の厳しい警戒態勢を布いていないのは、疑うべくもなく明らかだった。ブラッドの船団が彼等を目視してからも、しばらくの間、彼等が薄暗がりの中でブラッドの船団を発見できなかったのは確かである。スペイン兵達が実際に己を奮い立たせて活動を始める頃までには、敵ガレオン船が視界にぼんやりと現われるや否やヤード(帆桁)に押し込めていた帆を降ろして加速したウォルヴァーストンのスループ船は、彼等に肉迫していた。

 ウォルヴァーストンは提督の巨大な旗艦エンカルナシオン号に船首を向けた。それから彼は舵を固定すると、ビチューメン(半固体状石油)を染み込ませた藁で編んだ太い火口に、既に傍らで彼を照らしていたマッチで火をつけた。赤々と輝く火口は彼が頭の周りで振り回すと炎を吹いて炸裂し、それと同時に小型船は激しく衝突してエンカルナシオン号の横腹を削り、索具と索具がもつれあって帆桁に力が加わった為に上部のスパー(円材)がへし折れた。左舷では、全裸にグラプネル(四爪錨)を持った六人の部下達のうち、四人が舷縁、二人が檣頭の持ち場で待機していた。このグラプネルはスペイン艦を彼等の船に固定する為に投げつけられ、そして檣頭から投げられたものは索具の絡み合いを徹底させた上で固定するのが目的だった。

 叩き起こされたガレオン船の乗組員は全てが混乱しながら慌しく動き回り、トランペットを吹き、叫び声を上げた。まずは大慌てで錨を引き上げようとする必死の試みがなされた。だがこれは既に遅きに失したとして断念された。そして海賊達に乗り込まれる前に猛攻撃に備えねばと思い至り、スペイン兵達は武器を構えて待機した。切り込み隊がなかなかやってこないのはバッカニア(海賊)の通常戦術と著しく異なっており、彼等の疑念を誘った。その疑いは、裸のウォルヴァーストンの巨体が赤々と燃える巨大な火口を高く掲げながら、自船の甲板に沿って全力で走る姿によって更に深まった。彼が己の任務を完了するに至って、ようやくスペイン兵達はその行動の真の意味――彼は導火線に火をつけて回っていたのである――を理解した。そして次に、恐慌をきたした士官の一人が、切り込み要員に敵船上に向かうよう命じた。

 その命令は、あまりにも遅過ぎた。グラプネル(四爪錨)が固定された後、ウォルヴァーストンは六人の部下が船外に逃れるのを確認すると、自身も右舷のガンネル(舷縁)目指して急いだ。彼は船倉に最も近い、大きく開いたスカットル(昇降口)から輝く火口を投げ落とし、それから今度は自分が水面に飛び込むと、彼を拾い上げる為にアラベラ号からロングボートが急送した。しかし彼がボートに上がる前にスループ船は炎に包まれて、その爆発によってエンカルナシオン号の中には火のついた可燃物が飛散した。ガレオン船を燃やし尽くそうと炎の長い舌が舐めるように動き回り、それに対抗すべく、向こう見ずなスペイン人達は自艦を切り離そうと、今となっては手遅れの必死な努力をした。

 そしてスペイン艦隊の要となる船が真っ先に行動不能にされている間にも、ブラッドはサルバドール号に砲火を浴びせる為に自船を進めていた。まず彼は船首部に対して斜角に片舷斉射を放ってサルバドール号の甲板に甚大な被害を与えると、そのまま逆風を受けて帆走し、近距離から二撃目を浴びせた。一時的にサルバドール号を半ば無力化したアラベラ号は、そのまま針路を変えずにビークヘッド(激突艦首)のチェイサー(追撃砲)から二発を放ってインファンタ号の乗組員達を惑乱させ、次にハグソープがサン・フェリペ号に対して行っているのと同様に、切り込み隊を送り込む為に舷側に体当たりした。

 そしてこの間、完全に不意を打たれ、ブラッドの砲撃により一瞬にして麻痺状態に陥らされた為に、スペイン方は一発の弾も発射する事はかなわなかった。

 今や自艦に乗り込まれ、バッカニア(海賊)達の冷たい刃を向けられたサン・フェリペ号とインファンタ号の乗組員達は、いずれもさしたる抵抗は試みなかった。彼等の旗艦が炎に包まれ、航行不能にされたサルバドール号が流されてゆく光景は、自分達の優位を確信していたスペイン兵の戦意を完全に喪失させ、武器を捨てさせた。

 もしもサルバドール号があくまで毅然たる態度を示す事によって、無傷の二隻を鼓舞していたならば、スペイン側が再びこの日の武運に恵まれていた可能性は高かった。しかしサルバドール号がこの艦隊の宝物船であり、銀貨五万枚相当の貴重品を積んでいるという事実が、スペイン人の気性に対して不利に作用した。これらがむざむざと海賊の手に落ちるのを阻止せんと、ドン・ミゲルは残存兵達と共にサルバドール号に乗り換えてパロマスに、そして水路を護る要塞に向かった。この数日、要塞には提督が用心の為にひそかに駐屯させた守備隊が待機し、再武装もされていた。その目的の為に、より遠方の湾上にあるコヘロ要塞からは、通常の射程と威力を超えるキャノンロイヤル砲(66ポンド砲)数台を含む全兵器が運び込まれていたのである。

 このような状況に気づかぬまま、キャプテン・ブラッドはイブレビル指揮下でプライズクルー(捕獲船回航員)を配置されたインファンタ号を伴い敵艦を追った。サルバドール号は船尾チェイサー(追撃砲)で漫然と迎撃したが、しかし船体の損傷は甚大であり、要塞の大砲を前にした位置で沈み始めて、遂には水上に船体の一部をのぞかせたまま浅瀬で動きを止めた。そこから一部はボートで、一部は泳ぎで、提督は部下達を可能な限りパロマスに上陸させた。

 そしてキャプテン・ブラッドが勝利を手にし、外海へと続く水路に敷かれた罠から抜け出す道が眼前に開けていると確信した瞬間、要塞は突如、その恐るべき、そして全く思いも寄らぬ力をあらわにした。キャノンロイヤル砲は轟音によってその存在を高らかに告げ、その一撃を受けたアラベラ号はウエスト(中部甲板)のブルワーク(舷檣)を粉砕されて数名が死亡し、そこに集まっていた乗組員の間にはパニックが生じた。

 もしも航海士のピット自身がホイップスタッフ(舵棒)を掴んで一杯に舵を切り、船を急旋回させていなければ、アラベラ号は第一打に続いて間髪容れず放たれた二打目の砲弾によって、更に甚大な損害を被っていただろう。

 そうする間にも、益々まずい事に、よりもろいインファンタ号にも砲火が浴びせられた。命中したのは一打のみであったが、この攻撃がインファンタ号の左舷喫水線上の肋材を粉砕し、やがて船体を満たすであろう浸水が始まった。しかし経験豊富なイブレビルの迅速な指示を受けて、左舷砲が船外に捨てられた。その処置によって軽量化し右舷側に傾いた船体を上手回しに舵を切って逆風で帆走させ、背後から要塞の攻撃を受けながらも被害を最小限にとどめ、インファンタ号は後退しつつあるアラベラ号を追ってよろめき進んだ。

 彼等は射程外でようやく停船し、善後策を検討する為にエリザベス号とサン・フェリペ号に合流したのであった。


[註1]: Las Vigilias は現在のトアス島、La Palomaは現在のサン・カルロス東部(サン・カルロスは干潮時には西側が本土と繋がるが、古地図では明確に島として描かれている)。サン・カルロス(パロマス)東端には1623年に建造されたサン・カルロス・デ・ラ・バラ要塞がある。

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図版 1818 Pinkerton Map of Northwestern South America (パブリックドメイン)
図は本作の時代から130年後の1818年に出版されたもの。21世紀の現代では湖岸線はかなり変化しており、開口部周辺の島々も古地図と現在の地形とは差がある。

[註2]:タールを蒸留した後に残るかす。

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Captain Blood本編の全訳に加え、時代背景の解説、ラファエル・サバチニ原作映画の紹介、短編集The Chronicles of Captain Blood より番外編「The lovestory of Jeremy Pitt ジェレミー・ピットの恋」を収録

1685年イングランド。アイルランド人医師ピーター・ブラッドは、叛乱に参加し負傷した患者を治療した責めを負い、自らも謀反の罪でバルバドス島…

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