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ポイ捨てに良いも悪いもない。ただそのままである。

私は散歩を日課にしています。

比較的緑が多い場所を歩いているのですが、歩いているとどうしても綺麗な緑の中にゴミがあることが気になって仕方がありませんでした。

ポイ捨てされたごみ、廃棄された大型のごみ。

様々です。


最初はそういったごみが許せなくて、

「なんでポイ捨てするんだろう」
「ごみを捨てる人ってどういう人間なんだろう」

という怒りを自分の中にめらめらと燃やしていました。


良い悪いという評価を付けているだけと分かっても手放せなかった。

でも本当はそれはただポイ捨て、ごみ、でしかありません。

私がそこに良い・悪いという評価をつけているだけ。

それに気づいてはいて、頭では理解していました。

そしてその気持ちを何度も何度も手放すのですが、それをしてもなかなか自分の中でやるせない気持ちばかりが残りました。


子どもたちのごみ拾い活動:宝物を探すような遊び感覚

そして今日、カフェでパソコンをしていたら、ふと窓越しに幼稚園ぐらいの子どもたちがごみ袋片手にゴミ拾いをしていることに気が付きました。

その姿を見て、

「ああ、自分も文句を言うぐらいなら、袋片手にゴミ拾いしたっていいんだな」

と思ったと同時に、子供たちにとってはゴミ拾いは友達と楽しく出来る遊びで、ごみを早く見つけたら楽しい、宝物を探すような感覚だと気づいたのです。

そのとき、ポイ捨てされたごみというのは、ほんとただ自分が良い・悪いをつけているだけだなと思いました。


良い・悪いの二元性を知るには、たくさんの経験が必要

私たちは二元性がある世界に生きています。

良い・悪い、男・女、上・下。

そしてこの二元性は、本当はただ自分が意味づけしているだけなんだよ、と本当の意味で気づくには様々な経験が必要です。

だから今あなたがこの二元性がよくわからないのであれば、それは今はそれが本当に理解できる時期ではないということです。

ただ、そんな世界があるんだな、と頭の片隅に置いておくといいかもしれません(すごく軽い気持ちでね。

そしてもし今あなたが良い・悪いなどといった二元性で苦しんでいるのであれば、二元性は変化の表れであって、実はよくなる兆候なのだと、知っておいてください。

そして私は気持ちを手放せてきたので、明日からは日課の散歩+ゴミ拾いでもしようかと思います。

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