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料理を、どう評価するか

フィギュアと料理は似ている?!

フィギュアスケートや新体操など、いろんな採点競技を観ていると、ふと思います。私がやっている毎日の仕事となんか似てるところがあるなあ、と。もちろん世界レベルの美しさが似ていれば一番良いのですが、私が感じてしまうのは演技への取り組み方やその評価の仕組みなのです。

レシピには著作権がありません。店ごとの秘伝のタレといった企業秘密とは別の話です。例えば私がブログにレシピを公開し、それを誰かが真似したって文句を言う筋合いのものではない、ということです。

同様にフィギュアの四回転ジャンプは、誰もが挑戦できます。体操でも新しい技には初めて成功した人の名前がついたりしますが、その人だけが新技を独占できるわけじゃありません。つまり技自体は誰にでも開かれているわけです。

そして難易度が高い技ほど、成功させれば高得点を得られます。当たり前です。ここに至るまでには、想像を絶するほどの研究や努力があったのでしょうから。ただ評価の範囲は、その磨き上げてきた技術だけに止まらないのです。芸術点という何とも感覚的なプラス査定が得られます。

実際に競技をやっている方からしたら、採点はそんな仕組みじゃないと言われるかもしれません。呼び方などが変わってきていることも承知しています。しかし素人の私には、演技への採点がこのように見えます。そして、テレビなどで観戦するたびに、ふと普段の料理のことを思い出すのです。

ハンバーグの芸術点

私はよく、お店でハンバーグをつくります。レシピの大まかな流れは、特段変わったところはありません。玉ねぎを炒めて挽肉を練り、玉子と牛乳、パン粉と混ぜてフライパンで焼きます。この基本は秘密でもなんでもありません。社会共通資本みたいなものです。ハンバーグをつくるとき、誰もがだいたい同じようにこの基本を踏まえます。

ただ、こんなシンプルな手順であっても、作る人によって結果は異なります。

もちろん生焼けなどは論外ですが、きちんとハンバーグとして焼き上がったとしても、その差は確実にあります。フィギュアの四回転に例えるなら、生焼けは着地失敗で得点はゼロ。美味しくできたらジャンプは成功で、その出来栄えに応じて技術点を獲得できる、といった感じでしょうか。

私が考える技術点の基準とは、技のポイントをいかに抑えているかです。

無理矢理に料理に当てはめるなら、ポイントはレシピの深掘りと実践といったあたりでしょうか。玉ねぎはどれくらい炒めたか、お肉は練り具合は、焼き色はどの程度つけたか…。これらは甘みや口当たり、肉汁などに、きちんと結果としてあらわれます。美味しいという着地をするためには、外せないポイントでしょう。誰にも納得できる基準です。

一方、分かりにくいのは芸術点の方です。はじめに断っておきますが、私は芸術点に少しの疑念も抱いていません。つまりフィギュアであれば、演技を観た印象と芸術点には、そう大きな乖離がありません。

これはどういうことでしょう。技術点のような目に見える理由もない(少なくても私には…)のに、納得できてしまっているのです。採点結果への不満からフィギュアの大会で暴動が頻発しているという話も聞かないことを考えれば、おそらく私以外の方もある程度の納得を感じているのではないかと思われます。

さて、話をハンバーグに戻します。ともすると芸術点には、形の綺麗さが大きく寄与しそうです。しかし、私の感覚だとそこは技術点の範疇。綺麗な形であった上での何か、もしくは歪な形であっても心を掴む何かを、芸術点は審査しているような気がします。

その何かは言葉にできません。敢えてするなら「雰囲気」でしょうか。雰囲気勝負というと誤魔化しのニュアンスが強いですが、どっちが美味しいかを判定するとしたら、雰囲気は決して無視できない大事な要素です。

だからと言って、ジューっと音を立てて鉄板で運ばれてくるといったパフォーマンスでは、高い芸術点は期待できないかもしれません。分かりやすさは白けやすさでもあるからです。その意味では、食べる人にだけ伝わるさりげない気遣いなどは良さそうです。いずれにせよ、採点の対象がハンバーグ自体ではなく、その外側に広がっているのは興味深いことです。

芸術点の生じる場所

外側にある雰囲気は、誰かが受け取ることで初めて生じます。受け取るより前にそのモノ自体が到達できた客観的な要素が技術点の範囲であり、対する芸術点は判定する人の主観に強く依存すると言えるかもしれません。発表した作品を手放し、一切の評価を委ねるアーティストの態度が思い浮かびます。ここまで来たら、ようやく芸術点の範疇と言えそうです。技や料理はひとつの「作品」として世に問われるのです。

なるほど。レシピに著作権がないのは、ここらへんに通じるのかもしれません。ネット上にある画家の絵を勝手に転用してはいけないのは、それが「作品」であるから。料理も技術を尽くして提供された一皿は、もう食べる方にすべてを委ねた「作品」です。それを横から掻っ攫って、自分のものとして売り出したらいけません。デジタル空間でコピぺしたり拡散できないという違いがあるだけです。

私は毎日料理をつくっています。
そして、料理を食べていただいています。

点数稼ぎをしたいわけではありません。でも、料理を「作品」として仕上げて「手放す」という意識は、もっと強く持ってもいいかもな、とは思います。料理はきっと、お客さまとの共同作業のなかで完成していくものなのでしょうから。

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