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新駅のホームドアと自殺について。

2023年、うめきたの新駅開業に伴い
世界初の全面ホームドアの運用が始まる。

ホームドアについて少し。
ホームドアは1961年 、
ソビエトのレニングラード地下鉄での運用を皮切りに、日本では1970年万博の開催に伴いモノレールに施行された。
運用目的としては線路への転落や電車との接触を避ける目的とされている。
この辺はwikiでも分かることなので参照のこと。

話は少し逸れるがJR西日本のプラットホームにはイスが向かい合わせに設置されている駅があり、
何故かと言うと電車に向かってイスを設置している場合、酔っ払いが立ち上がって歩いた際、そのまま線路に落下する事故を防ぐためとの事である。

不慮の事故を防ぐという観点だ。

さて、ホームドアには現代において懸念されるもうひとつの側面がある。
言うまでもなく自殺である。

日本における自殺者数の統計は述べ多くの人が認知しているところでは3万人弱とされる。
このデータは少し古く、近年では多少の減少傾向が見られる。
(行方不明者や変死が含まれないため、実際はもっと多い事は当然予想される)

JR中央線での飛び込み自殺は年間辺り約25人、
月にして2人以上という事である。

2022年12月19日現在、
全国で今年だけで937件の人身事故が発生している。(死亡、生存問わず。)
人身事故の扱いというのは30分以上の遅延がなく、警察が自殺認定した場合に鉄道会社は人身事故としての提出義務がない為(輸送障害とされる)、
本来的にはもう少し多いということだ。

ここからは主観で述べる。
人身事故が起こる度にSNS等でよく聞く言葉に、
「他人に迷惑をかけるな」
「電車が遅延する」
「鉄道職員、利用者のトラウマになるからやめろ」
この3つが多いと思う。

瀬谷駅で女子高生が電車に飛び込む配信中継があった後、
Twitter上では意見がそれは割れた。
女子高生を悼む声、嘆くコメント、擁護するツイートと対照的に、
「自分勝手な自殺に付き合わされる人の身にもなれ」という意見が散見された。

ひとつずつ僕なりの解釈を。
 前提として、人は電車に飛び込む生き物である。という事だ。
もう少し言い方を変えよう。
人間は自殺をする生き物である。
電車飛び込みは方法としてのひとつでしかない。

どれだけ遅延が起きようとも、彼女は理解した上での行動だった事を覚えている。

自殺をして欲しくない気持ちは僕も同じだ。
しかし絶対的に起こることを「やめろ」で終えるのは思考停止も甚だしく、何も解決していない、ということがひとつ。

上記のような理由から駅職員や利用者にもそれぞれに心構えが要求される筈である。
「人は電車に飛び込むのだから」という意識はあって然るべきだと考える。
それはなぜか。「自殺は起きるから」としかいいようがない。
電車を普段利用していて人身事故を一切聞かない人がいるのだろうか。
絶対に起こるのだ。
その認識があれば「遅延するからやめろ」などという意味のわからない野次はないはずである。
自分はそういう乗り物を利用しているのだから。
職員の心労というものも配慮する必要があるが同じ理由で、鉄道の歴史と人身事故は常に切り離せないのであって、その職業を選ばれて就かれているはずなのだ。
それを労るのは当然として、
心的外傷になるからやめろというのは少し不思議な論理である。
僕らは医師免許を持っていない。
持っていたなら尚言わないはずである。
それほど心的外傷とはセンシティブな事なのだ。

他人が悲しむからやめろというのは心情的に分かるが、
職業への敬意が足りないのではないか、とは思う。

自殺する人間が他人への敬意を自分の境遇に重ねて天秤にかけた末実行するか否かはまた別の話である。
その余裕がない場合が殆どだろうし、また件の彼女のように考えた末批判を覚悟で実行する人もいるだろう。
そんな事はわかった上でという事だ。
わかっているに違いないのだ。
むしろ考えないほうが不自然とさえ思える。
自殺者とは意外と冷静に自分の死を見つめているものでもあるからだ。

そして新駅のホームドアである。
全面ホームドアはおそらくその駅に限り飛び込み自殺がほぼ不可能だろうと思われる。
現代における飛び込み自殺への回答がこのホームドアであり、
全駅全区間導入されれば(遠い未来だろうが)、
少なくとも駅においての人身事故はゼロになるはずで、時代の移り変わりを考えさせられるものだ。

 今後の課題は駅と駅を繋ぐ区間においての人身事故をどう防ぐか、という事になっていくのだろう。
まずはこの大きな1歩を賞賛したい。

 最後に、
「迷惑をかけるな」という言葉への僕なりの回答を。

迷惑な死って一体なんでしょうか

迷惑な生ってなんですか

どんな死に方をするにせよ、僕は将来迷惑な死に方をするのだと思います
人によっては迷惑じゃないと言うでしょう
けれど、見ず知らずの人の手を煩わせた場合、それは迷惑ということにもなるでしょう

なるのでしょうか

もう一度。

迷惑な死とは一体なんでしょうか

どうかあなたの死と生が迷惑にならない時代が来ることを祈っています。

人に当たり前にある死や美しさを、 詩や文で紡いでいます。 サポートをしていただければ製作の糧になります。 是非よろしくお願いいたしますm(__)m