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村田諒太『101%のプライド』──戦い続けるために必要なものとは

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」

これは英国の俳優・映画監督・コメディアンのチャールズ・チャップリンの名言で、ロンドンオリンピックミドル級金メダリスト・WBA世界ミドル級チャンピオンのボクサー村田諒太(むらた・りょうた)の好きな言葉のひとつだという。2017年10月にWBA世界ミドル級チャンピオンになった村田は、2018年10月にロブ・ブラントにタイトルを奪われた。しかし、2019年7月12日に村田はリベンジに成功し奪われたチャンピオンベルトを取り戻した。「悲劇を喜劇に変えるのは、結局は己次第。戦いを放棄せず逃げずに継続することだ」(『101%のプライド』幻冬舎文庫、村田諒太著より)。負けたところであきらめずにリベンジしたから悲劇は喜劇になったのである。

村田のボクシングスタイル

村田のボクシングは、接近戦で積極的に打ち合いを挑むファイター型のスタイルだ。相手との距離を詰めてブロックすると同時に打ち返すブロッキング・アタックは、ガードとブロックの技術がなければ相手の攻撃をまともに受けるリスクが上回り危険なだけだ。村田は右ストレートパンチが一番の武器かのように試合の実況ではよく言われているが、それ以上にディフェンス力のあるボクサーなのである。心技体の「心」が弱いのが最大の欠陥だったと村田は過去の自分を記しているが、日本人の平均的な体格からいうと大男のミドル級ボクサー同士が拳に全体重をかけて打ち合うなかで、一歩前に出るディフェンスをしている現在の村田は「心」が弱いとは思えない。

村田は中学でボクシングを始めて高校・大学とボクシングを続けたが、北京オリンピックの予選落ちをして1度引退している。その理由は、自分のボクシングは海外では通用しないとあきらめたからだという。それまではフットワークで相手との距離をとって中間距離や長距離で戦うボクサースタイル寄りだったが、テクニックを要するこのスタイルでは世界では勝てなかった。「世界で勝つためには世界で通用する自分の強いところで勝負しなければならない」。ブロックとガードで防御を固めつつ早い段階でボディを効かせて相手のスタミナを奪い、中盤以降で勝つ現在の村田のファイター型のスタイルは「我慢の消耗戦」。しかし、フィジカル、パンチ力、スタミナという自分の強みを生かすことができる。2009年に現役復帰の決意を固めてから2012年にロンドンオリンピックで金メダルをとるまでの間に試行錯誤した結果なのである。

ブラント戦2回目 2R2分34秒TKO勝利でリベンジ成功

試合開始のゴングが鳴った直後から、ブラントは攻撃を仕掛けてくる。様子をうかがうジャブというわけでもなく、ハイペースでコンビネーションを打ってくるブラントの調子は絶好調という印象だ。2018年10月の1回目の対戦では、村田は両腕のガードの隙から顔面にブラントのパンチを結構もらっていたが、今回は相手の拳が入る隙もないぐらいにしっかりとガードを固めている。村田が最初にワンツーを出したのは開始から30秒ほど経ってから。そこから村田はさらに距離を詰めてブラントの攻撃の隙をついて左ボディーを1発入れるが、フットワークで逃げたブラントのあばら骨に当たってはじかれた。距離を保って逃げるブラントを村田は追いながら、上下に打ち分けたワンツーで合間にボディを狙う。

接近戦になるとリーチの長いブラントのパンチは距離が合いにくい。村田がガードとダッキングでかわすとダメージのあるパンチは実質はそれほどない。2ラウンド目の序盤で、左フック右フックと振ってからドスッという音とともに左ボディーをいれる村田。数秒後にカウンターの右ストレートを受けてブラントはよろめいた。そこから村田のラッシュが始まる。平衡感覚を失ったブラントの目には村田の拳はよく見えていない。コーナーに追いこまれたブラントは、ガードを固めながら体を返そうとする。そこに村田に右ストレートを押し込まれ、左目に左ストレートの追い打ちを受けたブラントは、体をくの字に曲げた姿勢のまま背中からマットへと投げ出された。すぐにスクッと立ち上がり、目の前でカウントするレフリーの指を1本ずつ目を見開いてみている。

試合再開で会場には歓声が響く。ガードで固めた頭同士を付き合わせた接近戦。村田はブラントのガードの上からも下からも次々とショートのパンチを打ち込んでゆく。突き合わされた村田の体を押し離しながら攻撃するブラントの頭部を、ついに村田の右ストレートが揺らした。直後に左アッパーと右フックを顎に受けてロープ際までよろめいたブラントをレフリーは左腕で抱きかかえ、伸ばした右腕を宙で振り回した。

今回の村田は気迫から違っていた。ゲスト解説者に呼ばれていたWBA・IBF世界バンタム級王者の井上尚弥(いのうえ・なおや)は、「勝因は“勝つ”というそれだけの気持ちですね」とコメントした。

なぜ、村田はあきらめないのか

チャンピオンベルトを取り戻した村田は涙ぐんでいた。脳裏には過去の敗退の悔しさとつらかったトレーニングの記憶が呼び起こされていて、目の前の成功を掴んだ喜びの涙だと私は思っていた。しかし、村田が勝って涙を流す理由はそれだけではないようである。2度目の挑戦で初めて世界チャンピオンになった瞬間にも、村田は涙を見せた。「役割を果たせた安堵の涙」だったと村田はいう。人の役に立つことで、自分は価値ある人間だということを実感することができる。見方を変えると、他人を利用して自分が満足感を得る行為でもある。苦労して再戦の場を整えてくれた周囲の人たちに恩返しがしたいと村田はそのとき心から思っていた。勝ったことで他社貢献を果たせた幸福感を感じ、流した涙だったのである。

ボクシングを始めた中学生のころの村田は、練習のつらさから2度ボクシングから逃げた。
「自分が第一優先でやりたいことは何か?」
逃げていた14歳のときに自身にこう問いかけたことで、スパーリングで殴られても面白くて仕方のなかったボクシングに辿り着いた。「自分の気持ちに素直に従うこと。心の満足があるかどうか。心が満たされないものに101%の努力をしても成功しない」というのがそのころからの信念だった。“101%の努力”とは、他の人よりも1%だけ多い努力をするということである。

「誰かのために──という感謝の気持ちを抱いたときに人には不思議な力が宿る」と村田は言う。村田がオリンピックで金メダル獲得を目指した理由は、「自分が世界一強いことを見せたい」という自己顕示欲からだった。スポーツ選手でオリンピックの金メダルをとる目標を持つことは、それ自体なんの不思議もない。しかし、あきらめる人は圧倒的に多い。村田は金メダル獲得の目標を達成した後もプロで世界チャンピオンを目指し、何度負けてもあきらめなかった。村田が戦い続ける理由は、勝利して流す涙のわけにあるようである。

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須賀 一生

編集ライター/ファイナンシャルプランナー 金融・投資などのビジネス分野に強く、主にインタビュー記事の執筆をしています。健康オタクでボクシング好き。 twitter: @itski_suga
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