ノーマスク体験談。顔オムツの意味

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オムツを外してもよくなったらしいですね。劇団員風の二人が外すかどうかについて真剣に語り合っていました。たしかにオムツを外すか否かは大変重要な問題です。本日駅構内で見かけた顔丸出しの人は2人。一人は女子高校生。どちらも美人でした。そういうことですね。

2020年。コロナのことは知っていましたがどうでもいいと思っていました。わが家にはテレビがありません。小説執筆と中世ヨーロッパの歴史にハマっていたのでネットで調べることもしませんでした。2019年の冬だったか、インフルエンザとかいう菌が流行っているとかでみなさんオムツを着けていたのでそれと同じかなと思っていました。

5月あたりからオムツ姿が目立つようになりました。マスクは冬の枕詞だと思っていたのでちょっと気になりました。その後全員がオムツを着けるようになりました。

11月、ようやく異変に気づきました。わたしが電車に乗ると乗降口のスペースから人がいなくなります。モルト臭漂うホームレスと同じ扱いです。それでもとくに気にならなかったのですが、何度も繰り返されるとさすがに気になります。なにかがおかしい。そうしてようやくネットで調べました。コロナ菌というものが流行っていて世界中の人間がおびえているのだとか。下手に調べたので周囲が気になりはじめました。電車に乗ると目から下のない妙齢の女性がにらみつけながら離れていきます。おれのせいだったのかよ、と気づき、そして心が傷つきました。(笑)、ではありません。

12月、日々嫌われ憎まれます。どういう気持ちになるか想像できないでしょうね。まさに世界中が顔にオムツをつけてわたしを嫌い憎み避けるわけです。全員が敵なのです。妄想ではなく。そいつらに日々立ち向かっていかなければならないのです。勝てない、と思いました。本当に一人なのだ、と思いました。ただの独りぼっちではなく攻撃を受けるわけですので恐怖とともに怒りも感じました。でも勝てない。どうしたって勝てない。そんな気持ちでした。仕事を辞めることを本気で考えました。電車に乗るのが怖いからです。

1月、調べまくって真相を知りました。知らなくていいことまで知りました。そういう意味ではコロナ菌とオムツに感謝です。外出するたび、外出を考えるたび、手のひらと脇の下から汗がにじみ出ます。完全に恐怖に囚われています。

しかし慣れるものです。にらまれても逃げられてもなんとも思わなくなったのは半年くらい経ってからでしたでしょうか。こいつらは低能のゴミなのさ、と必死で自分に言い聞かせていた時期は過ぎ、本当に掛け値なしのゴミなのかもしれない、いや人をそういうふうに断じるおまえこそが弱いゴミなのだ、でもよく見てよ、どう考えてもゴミだよね。そうしてみなさんはまちがいなくゴミだと確信しました。あなたはゴミです。わたしより何段階か下の下等生物です。なぜそうなったのかは前に書いたとおり。食事と環境のせいです。ちなみに頭では慣れても体の不調はしばらくつづきました。ああ、やっぱり心の底では怖いんだな、と思いました。

憎悪のピークは2021年11月ごろでしたか。思い出せる限りゴミたちのリアクションを記していきます。ちなみにマスク警察はフィクションです。そんな男気のある方がいたらむしろ会いたいくらいです。まあとにかく書いていきます。

歩いているとオムツとすれちがいます。圧倒的有利な立場なので上から見つめてきます。顔から下がないのであの細い目にどんな感情が宿っているのか図りかねますが、「なんだこいつ」といったところでしょう。背の高い30代くらいのサラリーマン、しゅっとして身ぎれいで自信たっぷりで優秀そうに見えるタイプに多かったと記憶しています。つまり狭い会社という世界で勝利し成功しているタイプですね。わたしが目を合わせるとさっと目玉が前方に向いて固まります。わたしはすれちがうまでずっと見つめるのですが二度とわたしを見ません。でも見ています。見ていないのに見ているというあの目の感じ、たくさん見てきました。動物みたいでおもしろいですよ。さっと目をそらしたあとオムツをつかんでくいくいといじるのもよくありました。とっさに頭をかいたりといったリアクションと同じですね。オムツがあるからこそできるリアクション。日本人は進化したのだなと思いました。

電車では乗降口の脇に寄りかかって本を読んでいます。昔は情けないことに人が入ってくるごとに首が震えました。襲われるより拒絶されるほうが怖いんです。乗降口に背を向けて顔を見せないようにという配慮もしていました。しかしやはり慣れるもので、2021年半ばごろからはどうでもよくなり心身ともに堂々としています。わたしが乗り込んだときとオムツが乗り込んできたときの2パターンに分けて記します。まず乗り込むと女がつり革のほうに逃げます。これは日常風景。乗降口の脇に立っている人がくるりと座席側に背を向けます。これは毎日でしたね。一度は両脇の人が同時に背を向けたことがありました。わたしの隣でずっとにらみつづけてきた女がいましたね。目を向けると果敢に合わせつづけました。「え、なんで? わけわかんないんだけど。なんであの人マスクしないの? おかしくない? え、ほんと理解できない。マジで理解できない。なんで?」と彼氏にまくし立ててウンザリされるタイプ。おもしろかったのは閉まったドアに貼りつく女。まさにここから出して、といわんばかりの貼りつきぶりでした。次の駅で隣の車両に移りました。あとわたしを上目遣いでにらみつけながら小鼻付近に空いたオムツの隙間を両の指で押さえる女。どうしてわたしをこんな目に遭わせるの、と言いたげな瞳でした。女の場合はたいてい顔色が悪くて不細工で低身長で持病を抱えていそうなのが多かったですね。そういう意味では家畜、羊、奴隷と十把一絡げに言えないところです。目を丸くしてぎょっとする人、このタイプはある意味ピュアでいい人なのでしょう。あとはとにかく背を向ける人ですね。基本的にわたしの正面に来たくない、わたしに正面を向けたくない、という行動原理が働くようです。わたしが保菌者だからですね。わたしに気づくなり「うわーっ、なんだこの」と手を振りまわしながら去っていったおじさんもいました。気づかない人がけっこう多いのも現在だなと思いました。ふとスマホから顔を上げて、周囲を確認します。しばらく留まってしまうと逃げるに逃げられなくなるようです。周囲を確認してどういう行動を取ればいいのか教えを乞います。きわめてゆっくりと背を向ける大学生の男もいました。そうして落ち着くと、車内が空いている場合はわたしの周囲に微妙な空間ができます。満員電車のとき人混みをかき分けて隣の車両に移った人も一人いました。まあでも留まる人は留まります。中高生はまったく気にしませんでした。男も女も。子供は希望です。あなたのような完成した大人は死んでも構わないんです。本気でそう思います。

わたしがいる車両に乗り込んでくると、まずはきびすを返してつり革のほうに向かいます。当然ですね。優柔不断なタイプはその場で千鳥足になります。右に行こう、いや奇声を上げて追いかけてきたらどうしよう、でもこのまままっすぐ行ったら感染してしまう、というよりなんだあれ気持ち悪い。どうしよう。やめてくれ。その場で一回転する人もいました。みなさん頭はだいじょうぶですか? だいじょうぶではありませんね。運悪くわたしのそばに来た人は背を向けます。乗客の流れがわたし方向の場合一人だけ背を向けて前の人と見つめ合う格好になるのですが感染リスクよりはましです。いま思えば乗り込んできた場合のほうが狂い方が穏便でしたね。やはりわたしに一日の長ならぬ一駅の長があるからでしょう。「あ、失礼しま~す、お邪魔しま~す」ってことです。

不快だったのがオムツなしの目覚めていそうな話しぶりの男と女二人組がそばに来たときですね。明らかに話しかけたがっていました。同志というわけです。そしてそいつら以外電車や駅構内では一人もオムツなしを見かけませんでした。行動範囲が狭いだけかもしれませんが。

ファミリーマートでは二重マスク&フェイスシールドの女店員にお釣りを投げつけられました。朝から酒くさい知恵遅れに話しかけられたときはワクチン3回打ったからオムツはしなくていいのだ、と答えました。これから毎年打つんだよ、永遠に打ちつづけるんだよ、と言うと「えぇ~!」と驚いていました。あ、あとオムツのひもが切れた女がいました。必死で口にオムツをあてがいながらせむしのように背を曲げて歩を速めていました。格好も見かけも健常者です。あとはなにかあったか。「マスクしなさい」と言われたのは2回。必ずすれちがいざまです。優越感たっぷりに目を合わせてくる男は勘弁してほしかったですね。いたたまれなくなります。

2022年になるとぐっと穏やかになりました。まず逃げない。避ける人はいますが意味合いが異なってきたような気がしました。なにかがおかしいとうすうす気づきつつとにかく向こう3年間オムツを着けてきた、まわりはオムツだらけ、すると着けていない人はちがう人という認識になるんですね。ぼんやり危ないと感じる。理由はないがとりあえず避ける。しかしあなたはもう二度とオムツを外せないでしょうね。外す? 次の鳥インフルをテレビが言い出したとたんさっと着けて元に戻りますよ。請け合います。たまに外している人を見かけますが顔が死んでいますね。目から下がどろっと溶けた感じ。人間ってあんな感じだったっけ、と思い返すももはや思い出せません。

そうそう、職場でもずっとノーパンでした。従業員に空気を強要する会社なので(責任逃れ体質のなれの果て)しろ、という命令はありませんでした。2022年になってようやく常務がわたしの元に訪れました。

「あなたなんか、持病があってマスクしないわけ?(めんどくさいからそういうことにしといて)」
「いや~(わたしは嘘はつけないタイプ)」
「あなたを見て怖いって言う人がいるんだよ、社内に」
「(男は「怖い」などとは言わない。発覚の危険を冒してまで上司に媚を売るタイプの女は一人もいない。どうして平気で嘘をつけるのか)」
「じゃあ、なんでしないの」
「そもそも感染症ってのが嘘なんで」
「え、どういうこと? 感染しないの? (好機とみて)じゃあ絶対に感染しないのね?」
「まあ~、そう、ですね(18世紀まで遡らないと説明できない)」
「なんで言い切れるの? ねえ?(どうせ答えられないんだろ)」
「う~ん」
「(やっぱりな。おれの勝ち!)あなたはなんか感染対策してるの? 感染しないように努力してるの?」
「ですから、いいものを食べて、よく寝て」
「社長もしてるんだからさ(古典的!)」
「それは例の、死ねと言われたら死ぬのかという話と同じでしょう」
「じゃあしないのね、今後も」
「(これまでのリアクションの数々を伝えて)頭おかしいとしか思えないでしょう。大人が外さないから子供もマスクしなきゃいけなくなるんですよ」
「ん、なに? わかんない」
「自分にもいちおう自分の意志というものがあるわけなので、だからしない、と」
「それじゃしないのね? しないつもりなのね?」
「しませんけども、会社に所属して給料をもらっている身だってこともわかってます」
「(ほっとしたように)あ、わかってるんだ」
「ルールを破っているわけですので、会社としてしかるべき処置を執っていただいてかまわないです」
「え、なにそれ」
「ですから減給ですとか、解雇ですとか、それは甘んじて受け入れますよ。こちらが悪いわけなので」

そのあとパスツールと狂犬病の話と感染症は電波病で菌は存在しないという話をしました。「事実集団感染してるけどあれはなんなの?」アンテナを学校や公共施設や老人ホームなどに立てるからです。そうやってビビらせて(殺して)ワクチンを売るわけです。というか100年以上も売りつづけてきたわけです。すごく単純な話なのにあなたは理解できないんですよね。娘息子がアイドルになりたいなどと言い出したら世の中そんなに甘いもんじゃないよと諭すでしょう。そう、甘くないんです。赤ん坊に注射を打っているんですよ。だからなに? 注射というものがどれだけ悪魔的な行為かわからないでしょう。人は筒なので、口から肛門にかけての内部は厳密には外側なんです。注射は針で刺して内部に注入します。中にはいろんなものが入っているのですがそんなことはどうでもいいのです。注射それ自体があなたの肉体と魂を穢す邪悪な行為なのです。じゃあそういう人たちが着けろと言った顔オムツってなに? サディストのいじめっ子と同じです。こいつ命令したらオムツ着けたぜ。じゃあ次はどうする? 前回も書きましたが単純に従順にしたいんですよ。バカは言いなりになって(ワクチンの副作用まで)喜んで買いますから。あなたが想像する従順よりはるかに深い従順です。人ではなくなるレベルまで突き詰めます。上述した人たちのリアクション、健常だと思いましたか? 冷静に見ると知恵遅れの行動ですよね? オムツはよく聞く奴隷の象徴などではありません。肉の塊にまでおとしめたいのです。それが隷属というものです。顔オムツはしっかりと次の段階につなげてくれました。まだまだこれからです。単に経済や儲けだけの話ではないのです。顔を隠せ、と命令し、あなたは顔を隠し、知恵遅れのような行動を取ったのです。針で刺して内部になにかを注入しているのです。わかりますか? わからないでしょうね。どんどん知恵遅れになっているわけですから。

ちなみにわたしはクビになったか? もちろんなりませんでした。オムツなど取るに足らないことだと向こうもわかっているから、そんな理由で中小企業は従業員を処分できないものだから、そしてこれは霊的な領域ですが、未来を恐れずおのれの意見を言ったからです。

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