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たぶん錯覚

時間があるようでない。極端に忙しいわけではないのに、どういうわけか読書時間が取れない。
活字中毒のような病的なものではないのだが、本を読む時間がないというのはやはり辛い。
そんなわけで昨年来、意識して続けている短編小説集中読書活動はもっぱら入浴中になっている。

特定の作家の短編小説にこだわっているわけじゃないから、風呂で濡れようが、たわもうがお構いなしだ。再読するならはなから買い直すつもりで、古書店の店頭ですっかり日焼けしている1冊100円の文庫本を買っては、お湯に浸かりながら読んでいるというわけだ。

昔から、考えごとに向いているのは馬上ばじょう枕上ちんじょう厠上しじょうというけれど、僕としてはこれに「湯上」も加えるべきだと思う。考え事だけじゃなく、本も集中して読めるのだ。しかもぬくぬくとしたまま。

集中できるおかげで、僕は自分の世にある多くの短編小説に対する違和感の原因にも気がついてしまった気がしている。たぶん錯覚だろうけど。
でもそんな錯覚を起こせるほど「湯上」もまた集中できる時間で場所なのだ。
のぼせないために短時間限定という弱点がなかったら、もっといろいろ考え事も深掘りできるんだけどなあ。
(クソ熱い湯に肩まで浸かるんじゃなく、ぬる湯にするなり、半身浴にするなりしろという話ではある)

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