毒親

毒親からは「逃げる」一択しかない


虐待や虐待死のニュースを見るたびに、
憤りと悲しみと悔しさと無力感と、
ハムラビ法典に思いを馳せずにはいられなくなる。


どうして、
なぜ、
そんなことが出来るのか不思議で理解できなくてたまらないけれど、
もうそれは加害者が
「人間の形をした人間じゃないもの」
だからなのだ、
としか納得する術がない。


うちの両親は、
肉体的な暴力を日常的に振るう、
という意味での虐待する親、
ではなかったけれど、
いわゆる毒成分のだいぶ強めな、
「毒親」
ではあった。


新興宗教をガチガチに信仰し、
教義のために無職で極貧で神社の奥に一家で住み着き、
私がアトピーなのに風呂なし神社の奥に住み続け、
何をしても褒められることはなく、
私に
「ブス」「デブ」「お前には何もできない」
との言葉をかけて笑い、
何かを要求をすれば一蹴され、
子どもの歯を無理やり抜くのを楽しみにしたり、
暗い神社の神殿に置き去りにして子どもが恐怖で泣き叫ぶのを楽しんだりする親だった。
叱られる時や気に入らないことがあればグーで殴られた。


一方、そんな風に育てておきながら、
「大きくなったら立派な信者になりなさい」
「お父さんとお母さんが死んだら(知的障害のある)兄の面倒をみてくれよ」
とも幼少期から執拗に言われ続けた。


親に、
悪意があったわけではないのだと思う。
ただ、親のIQが、
悲しいくらいに低すぎる(多分ゴリラより少しいいくらい)
だけのことだったのだと思う。


でも、向こうが意図的かそうじゃないかということは、
全くこちらには関係がなくて、
私の肉体自体はそこまで傷付かなかったけれど、
心はいつもボロ雑巾よりボロッボロだった。


幼少期だけでなく、
私が思春期になり学生になり大人になり社会人になっても、
親の
「毒成分が強い」
ことは変わらなかった。


私が難病を発症しても、
「お前の信仰が足りないせいだ」
と言って私に信仰をするよう要求してきたり、
アルバイトが出来る年齢になって金銭が得られるようになると、
「神様のおかげで働けているのだから一割お供えしろ」
「うちの生活費をよこせ」
「よこさないならアルバイトを辞めろ」
など親しか理解不可能な理屈で私を責め立て続ける上 、
全く話が通じない(渡したくないと言えばバイトを辞めるしかない)ので、
私は無の心でお金を渡すしかなかった。


親との話し合いは一事が万事全てそういった調子で、
話し合いなんてものは微塵も成立せず、
「親の要求に私が従う以外の選択肢」
は用意されていなかった。


親の毒攻撃は、
日常のあちこちに潜み、
じわじわと効いて徐々にHPを削られていく。


どこの店にも「どくけしそう」は売っていないし、
私も周りも誰もキアリーの呪文は使えないし、
肝心の教会は毒の治療をしてくれるどころか親の毒パワーが強まりこちらの状態が
「もうどく」
に悪化してしまうだけ。


会話が成立せず、
とにかくただただ向こうの毒でこちらのHPが減り続けていく家。

「このままではHPを削られすぎて死んでしまう」
と思った。


親と毎日顔を合わせるのが嫌で、
大学を出て就職すると早々に家を出た。


「毒攻撃からの解放」
が、そこにはあった。



私は人生で初めて日常で毒攻撃のない状態に歓喜し、
それから一度も実家に戻りたいと思ったことはない。


それでも完全に絶縁でもしない限り、
人生で親と顔を会わせる機会というのはそこそこあって、
その度に短時間内に濃度の高い親の毒攻撃を食らっては、
「やっぱりこの人たちと長時間一緒にいるのは無理だ」
と思う。


毒親は、
毒親のまま変わらない。



自分が毒の塊であり子どもに毒攻撃をしている自覚がないし、
自覚がないから変わりようもないし、
会話が成立しないのだからいかに自分が毒かを自覚してもらうすべはない。


何度か、
「あなたたちは間違っている、改善してほしい」
という訴えたことがあったけれど、
その度に内容は理解せず、
「どうして親に向かってそんなことを言うのか!」
とキレられるだけだった。
親が私の言葉によって反省などはすることがなく、
親にとって私はただ
「性格の気難しい面倒臭い子」
という認識が深まるだけであった。
(それはそれで間違ってもいないけど)


人間は学習してしまう生き物なので、
「この人たちには何を言っても無駄なのだ」
と私は学習した。

だから、
私は
「逃げ出す」
という選択をした。

今でも限りなく必要最低限でしか、
親と接触することを避けている。
自分の心身を守るために。


でも親から受けた毒攻撃は根強くて、
私のステータスは「どく」のままなので普通に生活しているだけでも異様にHPが減ってしまうし、
少しの誰かからの攻撃でも瀕死になってしまう、
いわゆる立派なメンヘラに育ったままである。
周りにいる「毒親育ち」もまた、
大体みんな似たようなメンヘラである。



毒親の毒は強すぎて、
「逃げれば終わり」、
ではないけれど、
でも逃げずに死んでしまうよりは、
よっぽどいい。


体の死と心の死は別々で、
暴力による虐待で体が死んでしまうのとは別に、
毒親によって心が死んでしまう、
ということも往往にしてある。

そして、心の死は、
目に見えない。


意図的であろうとなかろうと、
虐待によって子どもが死んでしまった場合は、
「傷害致死」
で裁かれ罰せられるかもしれないけれど、
毒親によって子どもの心が死んでしまっても、
毒親が罰せられることはない。

それは、
心の死は目に見えないから。

毒親の毒によって心を殺され重篤なメンヘラになっても、
毒親を法律では裁くことができないし、
罰してくれないし、
毒親が改心することも反省することもない。


だから、
毒親からはとにかく全力で逃げるしかない。


ずっと走り続けて毒攻撃から逃げ続けるしか、
自分の心身を守ることは出来ないのだ。




人間は学習してしまう生き物なので、
自分には逃げるということも出来ない、
意味がないと思ってしまう人もいる。

気持ちはとてもわかる。
それだけの気力も体力も奪われ続けてきてしまった絶望感はとてもわかる。
痛いほどに、
わかりすぎるほどにわかる。


それでも、
火事場の馬鹿力でも最後の力を振り絞ってでも、
持てる力の全てを持って逃げてほしい。
大切なあなたの心身を守るために。
大切なあなた自身を守るために。


何より大事なあなた自身が、
生き延びていくために。


傷つけてくる親から逃げることは、
何も悪いことではない。

自分の心身を守るということは、
何も悪いことではない。




子を守るべき親から傷付けられるつらさはいかばかりかと思うけれど、
でもどうかあなたの大切な命のために、
逃げおおせてほしい。



どうかこれ以上親によって
殺されてしまう子どもが出ないように、
逃げられる子どもが増えること、
そして、
「傷つけてくる親から逃げること」
を推奨する大人が増えていってほしいと、
心から願っている。





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