貧乏すぎて一家で神社の奥に住んでいた理由


子どもの頃、物心ついたころには私は神社の奥に一家七人で生活していました。

両親プラス子ども五人。

なかなかの大所帯なのに、

一家七人でたったふた部屋(風呂なし、トイレはあり)で、

とてつもない人口密度で生活していました。


という話を人にすると、必ず

「え、神社って住めるの?」

と訊かれるんですが、

多分住めないことの方が多いと思うけど私が住んでたとこは住めた

という回答になります。


住んでいた神社のディテールを説明すると、

神社自体の規模は小さく、

神主さんとかも存在していない神社で、

町内会で自治、運営をしていたような神社でした。

神社本体側と反対方向に「まあ住もうと思えば住める」ふた部屋があり、

ふた部屋のほかにトイレとキッチン(というか流し)がありました。

今思えば町内会で運営したり、会議や行事に使われたりしていた神社だったので、

そういうことの準備をするスペースとして存在していたのではないでしょうか。

だって、お風呂なかったもん。


そんな住むことを想定していないような場所になぜ住んでいたかというと、

町内会のかたから両親に、

「住み込みで神社の管理人をやってくれたら家賃をタダにしたるけど、どう?」

という打診があり、

二人とも無職だった両親は

「やるやる!やりまーす!」

と引き受け、

住み込むに至った・・・という経緯だったようです。

住むことにした時はまだ両親プラス子どもが二人で、

ふた部屋でも全然住めたと思うんですが、

貧乏あるあるで兄弟はいつの間にか倍以上の五人に膨れ上がり、

圧倒的なスペース不足(そしてプライバシー不足)に陥ることになりました。

神社、すごく、狭かったな・・・・・・・(遠い目)



風呂なし神社に住む、ということは、

普通の家とは違うところがたくさんあるのですが、

(というか多分普通の家とは違うところしかないのですが)

「いつき神社」と呼ばれてイジメられたり、

「神社のカラスが凶暴なので神社に近付くな」という文書が学校で配布されるも、

住んでいるので避けようがなかったり、

その凶暴なカラスに襲われてカラス恐怖症になったり、

「神主さんいますか」と訪ねて来た人に「うちは住んでるだけなんで・・・」と断ったり、

まあ困ることがいろいろ、いろいろあったのですが、

どうしてそんな神社に住むことになるほど貧乏だったのかというと、

前述のとおり両親が無職だったから、ということになります。


じゃあなぜ両親が二人とも揃いに揃って無職だったのかというと、

両親は、二人だけではなく、ともに親戚一同で、

ガチの新興宗教信者だったのです。

その新興宗教の教えに、

「貧乏になれ。」

というハードコアな教えがあり、

両親はそれに忠実に従っていたため無職オブ無職だったのでした。

もう少し詳しくいうと、たしか

「自分は貧乏になれ、そして他人を救え」

みたいな教えだったと思うんですが、

まず子どもたちが貧乏すぎて幸せではなかったので、

他人より先に子どもを幸せにしてくれや

と常に思っていました。


なので、

地域の神社内に住みながら、

神社内で全然関係ない新興宗教の神様も祀っていました。(しかもデカかった)

すごくどちらの神様にも失礼だなって思うんですけど、

日本はやおよろずの神という考え方もあるのでOKなんでしょうか。




そんな感じで、

このnoteはわたしのこれまでの暮らしなどを振り返ったりします。

どうぞよろしくお願いします。







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