私は都合のいい人間、今日も急がば回る。

 今日も私は授業に遅刻した。「あと1分早い電車に乗ることができれば、、、」というものだった。今回のような遅刻はよくあることだった。大抵こういう時はエスカレーターを降りる途中に、閉まるホームのドアが見える。そして、エスカレーターを降りると、ホームに1人取り残され、そこに電車が引きずってきた風がアニメの演出のようにヒューと吹く。その時、「あー」と苛立ちも悲しさも湧かなく立ち尽くす私は側から見れば、とてつもない哀愁を放っているのだろう。こんな感じで自分を一瞬で客観視して、次の電車を調べる。もうこの時には確実に遅刻する電車しか出てこない。
 
 そんな時に、私は急行ではなく、各駅停車を選んでしまいたくなる。そして、何度も各駅停車を選んでしまったこともある。その理由は「急がば回れ」という言葉にある。そもそも私はこういう時、「授業に遅れたら、出欠を取り損ねるかもしれない。」という焦りを感じると同時に、「あー私も人だなぁ。」と半ば諦めを感じながら、都合よく「人」という言葉を使う。そして、「人」と同じくらいに都合の良い言葉が「急がば回れ」である。焦りを悪とし、諦めを善とする言葉は電車に乗り遅れた私のためにあるように感じる。でも、こういう時に各駅停車を選んでしまった時に限って、設計の良さげな案やnoteに書けそうな噺が浮かぶことがある。そして、その日は1日中を通して気分がいい。

こんな感じで急がば回れ人間の私はその日、乗り換えの時も走ることは無く、ゆっくりとした足取りで授業に向かう。そして、「先生」というただ先に生まれたという何とも安易な肩書きの人物にことごとく怒られる。

でも、大丈夫。私は人だからミスはする。明日も急がば回ればいい。

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