「認知された感情は知性である」

「認知された感情は知性である」
私の父はいつもイライラしていた。たまにテレビを見ている父が笑っていたりすると、私の兄弟は物陰からその父を見て顔を見合わせ「どうしたんだろう?」「分からない」という会話になったものだ。それほどまで父は笑うことが少なく、いつも険しい表情をしていた。口を開けば理不尽な命令が飛んできた。

寒くて靴下を履こうとすると「鍛えないからいけないんだ!水で洗ってこい!」という具合だ。風雨で壊れた雨戸を見つけては「誰だ壊したのは!」とドヤされたりする。父の中で何が起きているのか全く意味が不明だった私は、腹を割って話してみたい、そう思ったものだ。腹なんか無いからやめとけと兄弟に言われた。

理不尽な扱いを受けた私たちは二十歳もすぎるとウチに帰らなくなる。いつしか父以外の家族は家から出ることになり、父は独居に。そして一人で亡くなった。これは私にとっては悲しい結末だった。恐らく家族みんな同様の思いだろう。父が何を感じていたか、ちゃんと受け止めなかったことが悔やまれた。

父自身、何を感じているか認知していたとは思えない。無意識のうちにイライラが募っていたに違いない。父の人生から、無意識の感情は人生を蝕むのだと教わった。私は感情を認知すること、そして気持ちをシェアすることを学んだ。すると人間関係が良好になり幸福感が増した。認知された感情は知性だと今は思う。

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