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最期の日は誰にでも必ずやって来る。

突然その日はやってきた。大叔母が亡くなった。
あのわがままで寂しがり屋で口うるさい、けどどこか憎めない、あの祖母によく付き合ってくれた。仲のいい姉妹だった。

地方に住んでいるのに、よく都内の祖母のところにやってきた。その時は必ず美味い土産を持ってきてくれた。俳句を嗜み、ブリッジや麻雀も好きで、豪華客船で旅を楽しんだりするハイカラな人だった。

ある時、その大叔母が食事中に倒れたと聞いた。
容体が落ち着いてすぐに見舞いに行ったが、健常なコミュニケーションをとるのは難しい状態だった。それからまだ1年も経っていない。そろそろまた見舞いに行きたいと思っていた矢先。
次の知らせは亡くなったというものだった。

昨日まで生きていて、触れば温もりがあった人がある日突然いなくなる。
すぐさま葬儀屋がやってきて、葬式の日程が組まれる。

一人の人間がいなくなる。この純然たる事実をどう認識すればいいのか。
その課題に向き合う時間的余裕すら、与えられないような気がしてしまう。

身近な人が亡くなると、自分が生きていることが強烈に認知される。
自分はまだ歩くことができる。まだ見ることができる。話すこともできる。
これは素晴らしく、有難いことではないか!

もっと、生きていることを謳歌しよう。
そしていろんなことを味わい、体験しよう。

最期の日は誰にでも必ずやって来る。
そして、それがいつかは誰にもわからないのだから。

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