道

人生を変えた自由への道

僕が育った家庭は家の中は常に緊張感に包まれ、不穏な空気だった。監視・管理される雰囲気。怒られるのに理由などなかった。
父親の前を通り過ぎればドヤされ、くしゃみすれば年長の兄弟にしばかれる、そんな環境だった。

失敗が許されないどころか、自分は存在してはいけない。
そんな風に感じたものだ。

「生き残るには気配を消すことが最も重要だ」
ヴィクトール・フランクルが、著書・夜と霧の中で語っていたアウシュビッツの世界。読んだときに雷を打たれたような感覚を受けたものだ。その状況がとてもよく分かったからだ。
 
30歳を過ぎて、僕の目標は「自由になる」ことだった。
仕事もしていたし、一人暮らしもしていた。十分自由なはずなのに「自由になりたい!」などと願望を持つのは何とも滑稽ではないか。
しかし、本人はいたって本気だった。
 
自由へつながっていそうなところにはどこにでも出かけた。
本を読んでは勉強会へ行き、セミナーを受け、パーティーにも参加した。
 
成功者と言われる人たちに、人づてに紹介してもらいながら会って回った。
 
学びを深めていくうちに、段々わかってきたことがある。
それは過去に体験したネガティブな出来事が、内面にルールとして埋め込まれ価値観として染み込み、人生に体現されているということだった。
 
 
僕の場合はこんな風だった。

 自分には価値がない。
 自分が目立ってはならない。
 自分の存在は許されない。
 
全てがこんな調子だから、何をやっていても心からは楽しめなかった。衝動的に死にたくなったりもした。
 
僕が自由になるためにはこの価値観=セルフイメージを書き換えることが必要だった。
 
それは自分の中にある価値観やルールをひっくり返すことだった。
 
感じていることを明確にする。
感じていることを表現する。

 
そんなことから始まり、
自分の人生で何があったのか、過去に立ち戻り追体験をしていった。
 
踊ったり、叫んだり、
目立つ格好をしたり、変な格好をしたり、
怒ったり、泣いたりなんでも挑戦した。


じわじわと内面が書き換わり、
あるとき、とても自由になっていた。

今は
じっと人の話を聞いて、その人の愛を見出すこともできる。
踊って楽しむこともできる。
瞑想して心の平安を味わうこともできる。
人生やこころのことでセミナーをすることもできる。

受け取ることと与えることが、うんと自由にできるようになった。
 
自分の命をもっと味わい愉しみたい。
そして、もっと自分を分かち合いたい。
命を有効に使いたい。
そんな風に思えるのだ。
 
何が変わったか?
あえて言うと、中心の部分は変わっていないかもしれない。
 
こころの中心にあるものさえわかれば、
ただ、それでいい。

そう思えるようになった。

アホでも、賢くても
ゲスくても、ホワイトでも
ダサくても、カッコ良くても
綺麗でも、そうでなくても
お金がある時も、ない時も
勇気がある時も、そうでない時も
優しくなれる時も、なれない時も

それでいい。
そのどちらも、自分で自由に味わっていいんだ。


そんな風に楽しめるようになった。
 
完全なる自由への道はまだ半ば。
辿り着けるのかもわからない。
それでも僕はその道を歩み続ける。

今は多くの友達と共に生きている。
この「共に生きる世界」を広げて行きたい。

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