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【誰かのための基準を手放す】

僕はちゃんとしなさいと言われて育ちました。頻繁にその言葉を聞いたように思います。実際どうだったかは、もはやわかりませんが、僕の耳にはコダマするようにその言葉が聞こえてきます。

即ち自分はちゃんとしていないんだ、これではダメなんだ、という認識が強くなっていきました。
自分の感覚が間違っているとしたら、次の一歩をどう踏み出したら良いのでしょうか。保身に走れば、踏み出さないようにしよう。ということになります。

しかし、保身にも限界がきました。もはや他人の尺度に合わせて生きることが出来なくなったのです。自分は社会不適合なんだと思い、恥ずかしく感じる時期もありました。

しかし改めて考えてみると「ちゃんとする」とは一体何でしょうか?誰にとっての「ちゃんと」なのでしょうか。

自分以外の誰かの型に嵌っている限り、その苦しみから逃れることは出来ません。
その型の外に自分の道があります。その道は、先がどうなっているのか全くわかりません。それでも自分の道を歩みたいかどうかが問われます。

この問題を考えるとき、野生の動物を思うのです。渡り鳥や象の群れは、地図を持たずに大自然の中を生き抜いています。即ち、生き物とは元来そういう風にできているのではないか。と思わずにはいられません。

自分の道を歩む、ということを考えた時、誰かのための基準を手放すことは外せないのではないかと思います。

改めて、僕は僕の道を歩もうと思います。

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細川一滴

心理カウンセラー。「感情の学校」を主宰。 感情をガイドにしながら自分の中心にある大事なものを大切にする生き方を提唱している。

心のこと

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コメント1件

鰯玉が好いか、それとも一匹狼が好いか、商業主義はどちらかと云うと鰯玉に近いかも。そんなことを思いました。それで有難うございました。(*´▽`*)
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