【豊かさとは分かち合うこと】

毎日風呂に入り、飯を食う。飯にはおかずが用意され、様々が食材が食卓を彩る。江戸時代だったら殿様級の生活だ。こんなことが可能になったのは何故か、考えてみた。そしてたどり着いた結論は「分かち合うこと」だと思った。実りを分かち合う、仕事を分かち合う。権利も分譲していく。

単純な作業は機械化されたりするので、さらに付加価値の高い何かを私たちは分かち合っている。その結果が今の豊かさなのではないかと考えた。普段、何気なく使っているお湯だって火を焚く燃料は海の遥か向こう、中東から来ていたりするのだ。彼らが、世界が、独り占めすることなく分かち合ってくれるからありがたくお湯を使えるというわけだ。

そう思うと、戦争という行為は分かち合いの正反対だ。何かを作る訳でも分かち合うのでなく、奪い破壊し尽くす行為だ。こんなことをして人間が豊かになれるはずがない。でも人間はそれを止めることができない。

私たちの中には破壊の衝動というスイッチでも埋め込まれているのではないか?と思ってしまう。それゆえに知っておきたい。独り占めや破壊は自分の首を締めることになる。戦争はその行為と裏腹に「平和」とか「防衛」などという言葉をカサに着てやってくる。それは詭弁だと今、言っておこう。破壊と奪取を通して、その平和を作ることはできない。

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