差し出す

「あなたの大切にしたいことは?」

毎日毎日、必死に働く。

父は優秀な医師だった。
遠くから患者さんがやって来たし、頂き物も多かった。
学校の健康診断の時、校医として児童を診ている様子はどこか誇らしかった。
しかし、家族の中では酷いものだった。

いつもイライラしていて、家族に当たった。
二言目には「誰のおかげで飯を食っているんだ」だった。

父に言われたことがある
「お前は虫だ。ハエと一緒だ!」
何をもってそう言われたのか、その背景はもはや覚えていない。
愕然とした感覚だけが残っている。

私たち家族とコミュニケーションが取れず、
最後は孤独の中で死んだ。
彼の人生は何だったのだろう?と思う。

彼がよく言っていたのは「誰のおかげだ」だった。
そこにしがみつくしかない人生だったかもしれない。

「飯を食う」「働く」
どちらも大事なことだ。

しかし飯を食うために動く。にんべんを付けて「働く」
これのみでは自然界の動物と何が違うのだろう。


そう考えると、父親もハエと一緒だ。
もし嫌嫌仕事をやっているとしたら糞から糞へ、飛んでいただけだ。
必死に。

この人生をなんと言おう。
今も、多くの人が「働く」とはそういうことと理解している節がある。
僕らは命を楽しみ味わうことはできないのか?

僕らは何か大切なものを忘れているかもしれない。
そう思えてならない。

多くの人間関係で起きている不和の要因は
「何を感じているか」と、「何を大切にしたいか」の共有が行われていないからだ。

感情を感じること、そして
自分が大切にしたいことは何か?
それを明確にしないことには答えを出すことはできない。

お互いにそれらを表現すること。
答えはその両者の間にしかない

父が感じていたことは何か。
大切にしたかったことは何か。その生き方で良かったのか。
今となっては問うこともできないのが残念でならない。


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