2013年12月2日の雑文


 2人が過ごした季節の記憶は春の光を浴びた霜の如くに溶けて消え去ってしまいました。後に残った泥濘に手を差し入れて探ってみるものの、何一つとして見つけることができずに涙を目に浮かべているのが私です。

 手足を傷だらけにして、息をきらせて、必死にごつごつとした樹木を登ってもぎとった果実が、全く味も何も感じられない代物だったとしたら、少年はどれだけの悲しみにくれることでしょう?しかし私の3年間は全くこの味のない果実のようなものだったのです。確かに私は空想の翼をはためかせてヒマラヤの頂上から日本海溝の奥底まで。火山灰が地表を覆い尽くして地球上の生命の98パーセントを絶滅させてしまったはるか過去の時代から膨らんだ太陽が地球をまさに飲み込もうとするはるか未来の時代まで、魂を時間や空間の縛めを越えてどこまでもどこまでも遠くへと飛翔させました。しかしその実肉体はずっとここにあったのです。関東平野の片隅の、小さなマンションの1室の片隅にずっと僕はいたのです。亡霊のように、壊れた機械兵のように。

 こんなにごてごてと修飾語をこらした文章で一体何を伝えたいのだ?とあなたは尋ねるかもしれません。確かに言わんとすることがはっきりと伝わる文章はひとつの理想です。意識の外殻を突き崩して中心へと至るそういう文章は針のようなものです。それに比べれば私の文章は布のようなものです。それはありとあらゆる糸を寄せ集めて織り上げた布です。地下室を這う蜘蛛が必死によりあげて、しかし結局獲物を一匹もからめとることができなかった金色の糸。互いに想い続けていたのにも関わらず結局添い遂げることができなかった2人の小指と小指を繋いでていた赤い糸。絶え間なく続く戦争のせいで秩序が崩壊した世界で、通貨の代わりに流通していた白く輝く絹の糸。孤独に耐え切れなかった少女が身を投げた泉に浮かぶ黒い髪の糸。僕はそれらの糸を必死に集め、丁寧に1本ずつ吟味して織り上げて虹色の布を作ったのです。全ては無意味な空想の産物です。これで凍える誰かの体を温めることはできません。しかし傷つき、凍えて震えた誰かの魂のためになら、役にたつかもしれません。僕の文章はそういう性質のものなのです。あるいはそういう性質の文章を書けるようんありたいと思っているのです。

 針は布を突き刺しますが、破れた布を繕うのもまた針なのです。


 万の言葉を費やしても僕はあなたに自分の心のひとかけらすら伝えることができません。結局必要なのは肩に手を置くことなのです。眼を見て、ただ一言、心の表層に浮かんだ上澄みを口ずさむだけでいいのです。それが必要なのです。そしてそれだけで十分なのです。

 死は怖い。ああ、僕は死が怖い。生まれ変わることができる保証が与えられるのなら、不死身になることができるのなら、僕は何でもしてしまうかもしれない。そしてそんな自分のことも怖いのです。しかしその実、心の底では実は死のことなんてどうでもいいと考えているのです…

 雑文だ。これじゃ全くの雑文だ…

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