2012年5月26日の日記


 今日は昼食費が1000円もあったので外においしいものを食べに行く。100年前だったら東京のど真ん中に土地を買えた額である。

 

 

 しかし何を食うか、ということは一向に決まらなかった。金は何に使うかということをあれこれ考えているときが一番楽しい。道を歩きながら、ああでもない、こうでもないと考えているうちにいつのまにかショッピングモールまで来てしまった。この辺りに何か美味いものはないかと探してみたけれど、どこも家族連れで混んでいて、とても一人で鞄すら持たずにうろつく私のような人間をうけいれてくれる店は存在しなかった。はじかれるようにモールを離れ、私はとぼとぼと商店街の方へ歩いていった。


 商店街を歩いていて、ずっと探していた鮎料理の店を見つけた。いつも歩いている道の途中にあったのだ。そこで食べようかと思ったけれど、営業時間ではなかったのであきらめる。そして、鮎の連想からうなぎを食べたいと思い始める。


 

 うなぎは不漁で価格が高騰している。しかし一度思いついてしまうと、どうしてもその考えを振り切ることができなくなってしまった。

 前から○○中央図書館に行く途中で見かけるうなぎ屋が気になっていたのである。考えている途中も足は自然とそのうなぎ屋の方角へと向いている。まるで何かに導かれるかのように。いつのまにかうなぎを食べることに心は決まっていた。


 すでに時刻は3時になろうとしていた。うなぎ屋に行き、まだ商い中であったならうなぎにしよう。そう心に決め、うなぎ屋へ向かった。


 果たして…うなぎ屋は営業していた。私は鼻息をあらくしつつ、外のメニューをちらと見てみた。そしてその高さに驚く。一番安いうな丼でも1300円。完全に予算をオーバー。しかし、もう決めた心は動かせない。引き戸を引いて中に入る。

 中は狭い。カウンター席に、テーブル席が二つ。二人の中年男性がテーブルの一つに座っているだけで、あとは誰もいなかった。私は震える声で「うな丼ください」とつぶやいた。てかるほどの坊主頭の店主が気さくに了承する。


 一仕事終えた私はカウンター席に座り、帽子を脱いで一息つく。そこでずいぶんと汗をかいていたことに気づいて辟易する。そして異変に気づく。お茶もおしぼりも出てこない。私は催促をためらった。うなぎ屋では飲み物は別に頼まないといけないのだろうか?しかし正直そんな余裕はもうない。どうしよう、おひやだけでももらえないかな、いや、もしかしたらうなぎ屋での作法を間違え、何か店員たちに嫌われてしまったのだろうか?そんなことを思いながら焼かれるうなぎの切れ端を見ていた。


 やがて、うな丼が完成し、持ってこられた。そこで店員がお茶が出されていないことに気づき、あわてておしぼりと、それから吸い物と漬物ももってきてくれた。よかった。やはりうなぎ屋でも飲み物はただなんだ(あるいは料金に含まれているんだ)とわかって一安心した。それから吸い物も漬物もつくんだ。よかった。少なくとも飯をくうぐらいのことは許されているんだ。そう思った。


 うな丼は美味しかった。まず、市販のものと違って全然泥臭くなかった。全く泥臭くないというわけではないけれど、市販のものの泥臭さを100のうち60とすれば、今日食べたうなぎの泥臭さは10から20の間程度だったように思う。だから、純粋にうなぎの味を楽しむことができた。もちろん脂も市販のものよりも乗っていておいしかった。やっぱり市販のものよりも一ランクほど上、といってよかった。たれは正直味わうのを忘れていたけれど、しかしやはりたれもやはり一味もふた味も違ったのだろう。


 ちなみにあの店で一番高いメニューはうな重松で3000円だった。松だとさらに泥臭くなくて脂ものっていて、そしてもっと量がたくさんある(うな丼は量が少なかった。)のだろう。


 食べ終えてから山椒をかけるのを忘れたことに気づく。それほどてんぱっていたのだ。量が少ないとはいえ、十分にうなぎを満喫した私は勘定を支払うためにカウンターの方へ目を向けた。しかし例の坊主頭の店員の姿が見当たらなかった。不思議に思って私は立ち上がってカウンターの中をのぞいてみた。店員はカウンターの内側にしゃがみ込んでもぞもぞと何かをしていた。よくよく見てみるとうどんを食べていたのである。器の中にたれと卵のようなものを入れて、そこにうどんを入れて食べていた。やがて店員が私の視線に気づく。私が「勘定…」と呟くと店員はあわてて立ち上がって1300円を受け取った。店を出てからもしばらくはうどんをすすっていた店員の姿が頭にこびりついていたが、やがてそれは薄れて美味しかったうなぎの味だけが記憶に残った。

 うなぎ屋で飯を食べるということを経験し、一つ大人になったような気がした。おいしいものを食べて、いい気持ちになった。


 それから私はなんとなくうなぎのことを調べてみたくなったので、図書館に行くことにした。図書館で、生物図鑑と、それからオスマントルコ帝国についての本を取り出して、ソファーに座って生物図鑑を読み始めた。そしてうなぎについて、色々と興味深い事実を知った。


 まず、私はうなぎを食べるのは日本人くらいのものだろうと思っていたのだけれど、それは間違っていたということを知る。うなぎは古代ローマ、ギリシャでもポピュラーな食べ物だったのだという。これはなかなか衝撃だった。しかしうな重以外のうなぎの食べ方、というものを私はいまいち想像できなかった。


 古代のころからうなぎが一体どこからやってくるのか、ということは人々の関心の的であった。アリストテレスもうなぎがどこからやってくるのか、ということについて言及している。

 うなぎの幼少期はシラスウナギだけど、その前のさらに幼少期はレプトセファルスといって、よりひらべったい形をしている。それから変態してシラスウナギになるのである。これは近代になってからわかったことであった。ちなみにヨーロッパウナギはアメリカの方の海で産卵し、メキシコ暖流にのって大西洋にやってきて、ヨーロッパの川をさかのぼる。そしてやがて産卵の時期になるとまた生まれた海へと帰って産卵する。なぜ特定の海で産卵をするのか、ということについてはわかっていないことが多い。


 日本でとれるウナギの産卵地がどこかということはわかっていなかったが、最近判明した。以下wikipedia


 "従来、ウナギの産卵場所はフィリピン海溝付近の海域とされたが、外洋域の深海ということもあり長年にわたる謎であった。しかし、2006年2月、東京大学海洋研究所の教授・塚本勝巳をはじめとする研究チームが、ニホンウナギの産卵場所がグアム島やマリアナ諸島の西側沖のマリアナ海嶺のスルガ海山付近であることを、ほぼ突き止めた。これは孵化後2日目の仔魚を多数採集することに成功し、その遺伝子を調べニホンウナギであることが確認されている[4]。冬に産卵するという従来の説は誤りとされ、現在は6-7月の新月の日に一斉に産卵するという説が有力である。"


 

 そして、ウナギについて一通り調べた後にオスマントルコについての本を読んだ。なかなか面白くて6時くらいまで読みふけってしまった。


 そして7時ごろ帰宅。風呂に入ってからにんにく塩鳥と炊き込みご飯を食べる。そして少し休憩した後この文章を書いている…というわけである。

 それが今日の出来事である。まあうなぎ記念日とでも名づけようか。

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