2013年4月3日の日記


 今日も昼間ぐらいまでああ雨が降っていた。

だから午前中はもうずっと家にいたのだけれど、

何をしていたのかということはうまく思い出すことができない。

文章を書いたり、金閣寺を読んだり、「古文書」について調べたりしていた

が、どうもそれだけじゃないような気もする。いずれにせよ

雨と風の音がひびきわたるという幻想的な雰囲気の中で、僕の意識は

混濁してしまっていたのかもしれない。


 昼食は昨日のまぐろ丼の残りにカップラーメンだった。なぜだか知らない

がたくさん食べてしまった。


 (中略)


 夕方にもなると雨は止んだ。だから僕は外出して図書館へ

行き、そこで興亡の世界史モンゴル編を読んだ。

フレグ・ウルスが編纂した集史という歴史書があるが、

そこにはテュルク部族についての神話が書かれているのだが、

ノアの息子が3人いて、ハムがアフリカ人の祖先となり

セムがアラブ・ペルシャ人の祖先となり、ヤペテが

テュルク人となった、ヤペテの子孫にオグズというのがいて、

その息子が6人いて、6人全員の4人の子どもがいて、

それら24人の子たちが各テュルク部族の祖先となった、

実際にモンゴルの軍は24軍にわかれていたし、

それだけでなく匈奴の軍も24にわけられていたし、

北魏の軍も24軍にわけられていた、遊牧民の軍は

24つにわけられ、半分が右翼、もう半分が左翼に配置される、

という形態になっていることが多い、集史の神話でも

そういう遊牧民の軍制をふまえたうえで

24という数字が始祖の数として採用されたのではないか、

また、すでにアナトリア半島まで進出していたオグズ族

にあやかり、モンゴル部族もテュルクの一部と位地づけた

上でモンゴルをユーラシア大陸に広範囲に影響を及ぼした

テュルクの統一者と表現することによって

現在ユーラシアの多くの地域を支配しているモンゴルという

集団の正当性を表明しようとした、などということを言っていた。


 本を読んでいると時間はすぐにすぎ、すぐに7時の閉館時間となった。

僕は夜の風を感じながら家に帰っていった。


 夕食は鳥ご飯に塩どりのみそにんにくだれかけと鳥づくしだった。

食後、金閣寺を読みノートに文章を書く。そしてパソコンを開いて今に至

る…というわけだ。

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