2014年5月17日の日記①


 たとえどんなにくだらなく、つまらなく思えるようなことでも思い切って文章にしてみるのはいいことだ。。書いてから何ヶ月もたった後にその文章を読み返してみれば、非常に楽しい気持ちになることができる。脳の奥底にしまいこまれてしまった記憶を、日記を手がかりにしてまさぐってみるのは脳に対する最高のマッサージで、独特の快感を味わうことができる。しかしその快感は文章を書いた本人しか味わうことができない種類のものである。いわば日記は鍵なのだ。脳という錠前を開けて、記憶という宝物を得るための。錠前はひとりひとり違うものを持っているから、僕の日記を読んでも僕以外の人間は鍵をあけることができない。


 小説は日記とは違う。小説を書くということはいわば鍵と錠前と、そこにおさめる記憶を同時に作るような作業である。これには非常に大きな労力を必要とするが、成功すればそれなりの額の金銭と名声を得ることができるようになるのだから、まあ仕方がないというべきだろう。しかし僕が今書こうとしているのは日記である。

 別にたいしたことをしたわけではない。ただほんの5時間ほど歩いただけだ。風は僕を不快にするぐらいには強く、日差しを僕のシャツに汗をにじませるぐらいには強かった。11時過ぎに家を出て、目的地についた時には16時過ぎになっていた。乾燥してしまったのか目が痛く、足は棒のようになってしまった。あさってぐらいには腿が筋肉痛になっていそうな感覚がある。

 砂漠やジャングルの中を歩いていったわけじゃない。コンビニも自動販売機もたっぷりある街の中を歩いていたのだ。人も1000人ぐらいとすれ違った。次から次へと顔はうつりかわっていき、街はその形を変えていく。にもかかわらずいくら足を前に出しても全く進むことができていないような感覚も同時に抱いている。街の中を歩いていると不思議な気分になってくる。足から感覚が消えうせ、足が自分の意思とは無関係に動く、別の化物になってしまったような妄想も抱く。


 ずっと歩いていると、以前通ったことがある場所に出ることがある。すると以前の記憶が否応なしに思い出される。僕はある街角で1年前のことについて思い出し、またある交差点で3年前のことについて思い出す。そんなことが繰り返されている内に、全然知らない初めての通りで僕は1週間前のことを思い出すようになってしまうのである。

 やはりこれだけは書いておかなくてはならない。昨日であったボーイッシュな女の子。ショートカットの茶髪で、チェック柄のシャツを着ていて、太めの、色の薄いジーンズをはいていた女の子。その子ともう1度会ったのである。服は昨日とかわっていた。彼女は昨日よりももっと女の子らしい服を着ていた。白いパンツに、何かとにかくとても女の子らしい上着を着ていた。靴はピンのついたサンダルのようなものを履いていた。彼女は駅のところで曲がり、TSUTAYAのところの階段をのぼっていった。僕はTSUTAYAでバイトをしているとのことであった。

 まあとにかく最初からそのようなことがあった。そんな1日であった。ダメだもう眠い。続きは明日書こう。今日は翻訳もしないことにする。

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