2011年11月14日の「地下室」
図書館で、ある女性の手記を読んだ。
その女性は生まれてから死ぬまで奴隷だった。
女性の母親も奴隷で、文字通り一生を薄暗い地下室で暮らした。
しかし主人の男から文字は習ったようだった。そして毎日日記を書かされていた。男はその日記を読みながら射精をしていたらしい。それも日記に書かれていた。
女性は20歳前後で亡くなってしまったとのことである。主人の男は数年後首をつって自殺した。警察の捜査で女性が奴隷にされていたことが判明し、そして日記も見つかった。その後日記は紆余曲折を経てあるノンフィクション専門の出版社から発売された。
日記はベストセラー、とまではいかなかったが、一部で大変な人気を博した。しかし初版の部数が少なく、人気にもかかわらず重版されなかったので、流通している部数はとても少ない。・・・インターネットで調べた情報は、そのくらいのものだった。
日記は、男への怨嗟であふれていた。しかしどうもその憎しみはピントがずれているように思えた。そもそも外の世界を知らない人間の、中の世界に対する憎しみとは、我々が考える憎しみとはかなり性質が違ったものなのではないだろうか。
「憎しみ」という言葉を彼女は使っていたが、私は別の感情を彼女の日記から読み取った。それは「諦め」であった。
彼女は見切りをつけた。彼女にとっての世界の全て、つまり地下室に。
外の世界に出ることができたのならば、また彼女には違う人生もあったのかもしれない。しかし彼女は外に出されなかった。だから彼女は「諦めた」。
その諦念は、地下室の中で完結する性質のものだったのだろうか。それとも、地下室の外にも、影響を及ぼすようなものだったのだろうか。
それは誰にもわからない。
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