2013年10月26日の日記


 久々に外に出る。実に2日ぶりである。台風はすぎさり雨はやみ、明日は太陽がさんさんと照り輝く気持ちの良い一日となりそうである。


 散歩ついでに立ち読みをしたわけだが、そこで「田辺元」という哲学者の存在を知る。彼は西田幾多郎に次ぐ哲学者と呼ばれていたそうだ。西田とともに京都学派を形成した。彼は種の論理なる理論を提唱したが、どうもその論理は戦中のファシズム政権に利用されてしまったらしい。「個」を国家という「種」のためにかりだすことを裏付ける理論として利用されてしまったのだ。


 この田辺という男が具体的にどのような理論を提唱していたのかということは調べてもよくわからなかった。難しいのだ。


 西田は自身の理論の説明の際にデデキントの切断のことについても触れていたそうだ。その流れで帰ってきてからデデキントのことについて調べる。
デデキントの切断とは要するに有理数を使って無理数のことを具体的に定義するということだ。有理数直線の内、たとえばある有理数を選んで直線を2つの部分にわけるとする。するとこの切断の基準となった有理数はどちらの部分、(集合)に分類されるのかという疑問が出てくる。…まあどちらか、ということはどうでもよくて、どちらかに分類されることが重要なのだ。たとえば左の集合に分類されたとしたら、その有理数は左の集合の内最大の数ということになる。俗にいう「閉じた」状態になるわけだ。しかしその場合右の集合は「開いた」状態になるので、右の集合の中からどの数字を選んでもその数より小さい数が登場してきてしまうわけだ。(たとえば、3という数字を切断道具としてある数直線を2つにわけるとする。3よりも左の、つまり3より小さい数の集合に、3を含めるとすると左の集合の内一番大きな数は3である。一方で右の集合の内、一番小さい数を、たとえば3.0000000001じゃないか?と予測をたてたとしよう。さて、これは右の集合の内一番小さい数だろうか?もちろん違う。それより小さい数は3.0000000000001でも3.000000000000000000023443でも無限に作り出すことができてしまう、ということだ)


 さて、ではある数で数直線を切断するとして、その場合に右の集合も左の集合も「開いて」しまう、そんな数は存在するだろうか?存在するとすればどういう数か?…という問いを想定する。その答えとなるのが…「無理数」なのである。言い換えれば、「ある数」で切断をして、2つにわけた集合のどちらもが「開いて」しまう場合、「ある数」は無理数と言える。…まあこんな風に使うのがデデキントの切断であるらしい。今の私の理解力ではこれが限界である。


…で、このデデキントの切断という概念と田辺元の哲学がどのようにかかわるのか、ということについては、もちろんわかっていない。

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