2014年1月21日の日記


 8時半ごろ起床。朝食を食べる。コーヒー、パン、炒め物…。食事している最中から腹が痛くなってくる。なんとかパンは全部たいらげるが、おかずは少しだけ残したままトイレへかけこむ。ヨーグルトとバナナは食べることができなかった。

 午前中は絶対の探求を読む。これはとても面白い小説だ。化学に夢中になる富豪。その熱意の度合いは金で、失われていく一家の財産で、抵当に入れられていく土地できちんとはかられる。だからこそ読む者の心にずっしりとした、重量を持った「あわれさ」を感じさせることができる。


 妻は障害を持っていて、だからこそみそめてくれた夫に感謝している。夫は偏執狂的性格を持っていて、その性格が最初の段階では妻への愛情を養い育てる方向に向かった。夫は貴族がよくやるような豪奢には興味もなく、ひたすらに妻への愛に夢中になった。その愛を一身に受けた妻は幸せだった。…幸せだったから終生妻は夫に逆らうことができなかったのだ。

 そんな妻の愛にむくいるためにこそ夫は探求に夢中になったのだ。その愛につりあうような何かを手に入れたくて化学に、究極の真理の発見に身も心も金も全てささげたのだ。この夫の気持ちは、人生で1度でも何かに、魂まで滅ぼすぎりぎりのところまで打ち込んだ人ならばわかるはずだ。

 妻は夫には逆らわない。しかし妻は夫と同じぐらい子供たちのことも愛していた。自分だけだったら財産など喜んで夫にささげたが、子供たちの最低限の幸せまで煙になってしまうのは耐えられなかった…。だから妻は夫に内緒で様々な緊急の手段をこうじるのである。…その心の動きはよく納得できるものであった。


 とてもよく計算されつくした小説である。バルザックの小説は登場人物たちがあまりにも作者の意図のために動かされすぎると前々から思っていたが、この作品においては、そのことが小説自体の完成度をたかめる方向に寄与している。…つまりバルザックの作品の登場人物は、作品の意図に「ついていけていな」かったのだが、この作品に関しては登場人物そのものが極論で、まさにその意図を体現するために作られたようなものなので、意図の通りに動いても無理がないのである。…少しわかりにくいだろうか。私はなんだろう、初めは普通だと思われたキャラクターが作品の筋書きのために「異常な行動」をするのは好まないが、初めから「異常」であることを説明づけられた人物が「異常な行動」をするのはすがすがしくて好きなのである。…まあそういうことだ。


12時からランニングに行き、かえってきて蕎麦を食う。その後昼寝してパソコンをやって夕食。酢豚とさつまいもの味噌汁だ。さつまいもは例の安納芋である。


 風呂に入ってからまた探求を読む。夫が娘に家を出ていくよう迫られるところまで読んだ。


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