2013年1月18日の日記


 今日は世阿弥展に行って来た。

前々から行きたいと思っていたものの

ずっと行くのを渋っていた。しかしそれでは

展覧会が終わってしまうので、今日決心して

銀座松屋まで行ってきたのである。

 一番多かったのは装束である。しかし

着物のことについてはあまり詳しくないので

模様を見て綺麗だなーとか

服をキャンパスみたいにして絵のような模様が

描かれているのは面白いよなー

などという感想を心の中でつぶやいていた。それよりも

私は面の方に興味をより強くひかれた。ほんのちょっと

目の切れ込みの違い、掘りの入れ方の違いで

あれだけ表情が変わるのはすごいと思った。

私は葛城の面にほれ込んでいて、あれが

なんの面だったのかずっと知りたかったのだけれど、

どうも増女が正しいらしい(前シテは深井か)

 後は世阿弥の直筆の書の断片を見た。

実をいうと展覧の目玉の風姿花伝は

見そびれてしまった。なぜかといえば

それまでの私の思考を吹き飛ばすほどにすばらしい

装束を見かけてしまったからである。

 それが花色地金雲取稲穂群雀鳴子文様縫箔である。

露草の色である花田色(おそらく深花田)の下地に、

まず空に金色の雲、そして地面にたわわに実る稲穂。

真ん中は大胆に空間が空けられている。これでも

十分絵になるのに、それだけでなく写実的といってもいいほどの

雀があちこちに散らばっているのである。まさに今にも

飛び出してきそうなほどで、この雀の装飾が

この装束に立体感を与えているのである。


 そしてきわめつきが鳴子である。おそらく雀が

稲をついばんだときに音がでるようにしかけたものであろう、

鳴子が稲穂の只中で息をひそめてゆらされるのを

待っているのである。

 なんということだろう!それぞれは

能装束によくある装飾なのであるが、それらが

組み合わさることによって一枚の絵画にも

劣らないほどの「世界」を表現してしまっているのである。

私はその世界の強烈さにあてられて、この装束を

着て演じられる謡はどんなものなのだろう?と

頭をひねってみたが、ついぞぴたりとくる謡を

あげることができなかった。それは

あまりに完成されすぎているのである。

 着物で表現される一つの世界。私はそれを

目の当たりにした瞬間、自分のかけらが

その世界の中にとらわれてしまったことを

確信したのである。

 その後国会図書館へ行く。銀座から

永田町までの道のりは過酷であった。

特に外堀のそばの道は風が強く、歩きで

来たことを深く後悔した。国会図書館に

ついた後、食堂でラーメンを食べて

体をあたため、まさに天にも昇る気持ちと

なった。ラーメンはなかなかの味であった。

 千の顔をもつ英雄と

鉄腕ゲッツの自伝を読む。

エスキモーの神話の、大鴉が鯨の体内に

侵入する話が印象的で面白かった。


 夕食は塩鳥に納豆、ひじきのあえものに

味噌汁であった。ひじきがなぜかとてもおいしかった。

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