006:ダイバーシティについて

いくつか前のnoteでダイバーシティの問題について取り組んでいくことにした、と書いた。この短い間に見聞きして少し感覚が変わった、いや、再認識かな、クリアになった部分があるので書いてみたい。

よく性別の差別の話が取り上げられたり、同性愛者の話だったり、はたまた障害者と呼ばれる人の話だったりが取り上げられて、、(こうやって”違い”という観点で種類を上げていくとたくさんあるなと改めて思ってしまうのであるが)そういった人たちの何かしら権利を認めようだとか、差別を受けているのでなくそうとかいう話になる。

まあ、具体的にはそういうことなのかもしれないけれど(あまり具体的ではないが)なんかそういう話になる時点で的をはずしているのではないかとひしひしと感じる。
ダイバーシティってなんていうか、ただ違うということであって取り立てて騒ぐことではなくて特別扱いされる側もする側もなんかずれてて、ただ違うだけ。白人社会からしたら黄色人種は少数で変わり者扱いされるのかもしれないけれど、アメリカなんかは人種のるつぼとかなんとかいって、そんなに意識することでもない。最近じゃアジアンも多いだろうし。

ただし、
そんないろんな特徴、特性を持った人たちの中にも今の社会環境の中で生きにくいと思っている人がいて、そこをフラットにする活動したくて、例えば自分はテクノロジの力を使って少しでもそれができればと考えたわけです。
わかりやすい例でいうと、義手や義足の話。超かっこいい義手義足を提供できれば、それを使う人は”へへん!”と思いながら手や足がある人と同じように生活できるかもしれない訳です。

最近、よく話を聞いている(@ネット上で)方はテクノロジとアートの枠組みの中でもそういったことを話してて、目指してて、物の見方が公平。
ややこしいことはたくさんいってるように聞こえるんだけど、それは教養が高いからであって、理解できる人には理解できるしできない人にはできない、それだけ。自分には、うーん、半分くらい。遅ればせながら追いつきたいと思っている。

よーく理解して上で、よーく考えた上で、真実を真実の言葉でも語りたいし、誰にでも届く言葉でも語りたい。そのために勉強はやっぱり続けないといけないんだろうと改めて思う今日この頃。

もっと言うとそういう環境が作れるエコシステムを作りたいと思っているというのが自分のやりたいこと。
あと、そのエコシステムをちゃんと届くべき人にできるだけ早く届けられるようにストーリーを大切にしたい。例えばストーリーを無視するということは、大企業なんかで起きがちな過ちの一つ。そこの人は課題解決という力学以外のベクトルでも動く人が結構いるから。なんとかそんな余計なベクトルを排除して、本質に向かいたいと心から思う今日この頃。大企業という環境をうまく利用してそれができればいいけど、今の所うまくいってないです。あと、正直できる気がしていない。

私は天才ではないので、ほんの少しからまずはやって見るんでしょうね。実績、見えるもの、プロトタイプ、最悪計画書が必要なのでしょう。コツコツやるです。

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