009:エジソン

今更、この歳になってなんなのですがエジソンの伝記を読みました。もちろん大人向けに書かれたもので、著者はその愛弟子、あの自動車王のヘンリーフフォード。彼が崇拝してやまない人物がエジソンその人なのだそう。

この歳になって”電球”を作った人で”蓄音機”なんかも作った発明家、すごい人なんだよなー、くらいのイメージだったのですが、読んでみるとそれはそれは幼い頃からとんでもない人物でその生涯を送ってきた人だと改めて感心。

もっともわかりやすくて唸らされたエピソードは、大陸に引く電力網のことまで検討、考慮して白熱電灯の初舞は始まっていたということ。ただ単に、街がどを明るく照らす電球がガス灯から置き換わればいいと思っていたのではなく、発明した白熱電灯が街のいたるところに配備され、夜の街をあまねく均一に明るく照らし出すにはどうすれば良いかを初めから考えていたのだ。

電力伝送において交流直流論争というものがあり、結局、エジソンはテスラの陣営の交流伝送に負けたことは有名な話であるが、そもそもそれこそ電力伝送の手段それ自体が議論の的ではなく、結局、社会がより良くなるにはどうすれば良いかという視点から全ての発明の発想は始まっているのである。

このような考え方は私の中でもここ数年来、大きなテーマで、今取り組みが一体なんのためにやっているのか、それを果たしてないがしろにしてしまって本来の目的がなんだったのか曖昧になってしまうことは往々にしてあること。特に技術畑の人間は長く一つの技術に取り組むことが多いので手段ありきになる傾向があり、問題解決のための”種”としてそれは非常に重要なのであるが、手段ありきになってしまた場合、それはプロジェクトが苦境に追い込まれることもある。

そして、ある課題を解決するのに広くシステム全体を初めから考えているところに、よく考えれば当たり前ではあるが実はなかなか難しい視点でエジソンはその発明の業を成し続けていたのだった。本当に目に見張ることである。

もう一点、挙げるとするとエジソンは新たな研究や初目に取り組む際の資金は全て自分で稼ぎ出していたという点である。今の世の中であれば特にシードに近い技術であればあるほど予算を確保するのは難しくかといって本業をないがしろにして資金集めに走ると技術的に遅れを取るというリスクを伴うなど、その取り組みは難しい。エジソンは自らその両方をやってのけていたのだ。

偉人とよばれるだけあってすごい人物であり、自分は同じようにはできないが、その思い、考え方からは学びを得て今後の取り組みに生かしたいという思いを得た。

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