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いつかのカンボジア⑥トンレサップ湖と青年

今年のGWは一緒にいたけどケンカしなかったねと夫が昨日つぶやいた。毎年GWは旅行に行くのだけれど今年はコロナで予定は無しになった。夫は何かしら家でも動いていて私はネット三昧なGWだった。カンボジアの話と逸れてしまったけれど、平穏なのはいい事だ。

旅の途中はざわざわとすることが多い。特にアジアの旅はそうだった。この旅をする前にも海外旅行には行ったけれど、貧乏旅行といいつつ、ぼられる事は少なかった。それがこの旅で友達とタイのカオサンに到着し路面店の土産屋さんでの値下げバトルを目の当たりにして、私は今まで甘かったのだろうと痛感した。友達と行かなければアジアでぼられてまくる旅をしていたと思う

カンボジアの旅の事はnoteをはじめるときに日記が出てきて思い出して始めたのがきっかけだったけど、日記はカンボジアに行った翌年からのアジアの旅を記したものなので、カンボジアの事は頭の中の思い出をたどっているのでトンレサップ湖にどうやっていったか、いくらだったかは頭から全くの事抜けているのだ。それでもトンレサップ湖は忘れられない出来事があった

トンレサップ湖には当時あまり興味がなく行ってみるか程度だった。けれど実際に到着すると、広いトンレサップ湖にの水上で暮らす人たちをみて逞しいと思いつつ、複雑な思いも抱いたのは確かだった。トンレサップ湖のツアーとしてボートで回ったのだけれど、ボートは私と友達との貸し切りボートで青年が運転士だった。幸か不幸か幸いにして、その青年は英語が堪能でなく余りセールスをしてこなかったので、ぼられることもなかった。ネットで検索すると結構な確率でセールスされる事が多い様だ

水上で暮らす人々が集まるスーパーや学校や魚の養殖場などをみて水上の上なのにやけに立派な学校やスーパーに驚いていたけれど、土産を買えと強要することも無かった。たぶん私たちが頑なに要らないと言ったので、勧めずらくなっていたのだろう。もちろん言葉の問題もあったに違いない。私達も英語が堪能ではないのでお互い様だった。

華やかな集落(水上生活者が集うスーパーや学校など)をまわり次は生活する場所に行ったのだけれど、水上生活者は川で野菜などを洗い、トイレは川に直接ながし(ある意味水洗トイレだけど)そこで育った魚を食べていた。さすがに飲料水は天水みたいだけれども

ボートを運転する青年はある場所でボートを止めてしきりに冷たい飲み物を進めてきたけれど要らないと断りつつも、だんだん馴染んできてお互いの話をした。青年は水上生活者で、水上で生まれて育っているのだ。祖父母も兄弟も含めると10人ぐらいの家族の長男なのだという、家は長い脚がついた平屋になっていてトイレと家の間取りを説明してくれた。その一部屋しかない部屋にみんなで暮らしているという。今日の稼ぎが$1だからこれで食べ物が買えると喜んでいた。

私達はボートに乗る前にチケット一人10ドル払っている、けれどチケット払った人とボートを運転する人は別であるし、ボートツアーなんだから、運転手にお金が入るのは当然だと思うのだけれど、そうゆう事ではないようだった。私達は憤慨しながらも青年に其のことを告げたけれど青年は仕方ないというのだった。船は借り物だからその代金を引かれているのだという。それにしても酷いシステムだ。青年はお金をためてバイクを買ってバイクタクシーをしたい。そのお金で家族を養いたいと言っていた

そして日本で私たちは給料をいくらもらっているのだと聞いてきた。私たちは正直に答えたけれど彼は何度も桁が間違っているのじゃないかと言って驚いていた。最後にチップを少し渡したら喜んでいたけれど、私達の給料で彼はバイクを買える。そう思うといたたまれない気分になり帰り道に色々考えさせられた。

今頃青年はどうしているのだろうか?少しづつお金をためてバイクタクシーになれたかな?バイクタクシーの運転手になっているだろうか?


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