狭間の世代

なんか今日は色々書きたい気分だった。
依月です。
今日はバイトの時に聞いて思ったこと。高校生から学ばせてもらいました。


僕が子どもの頃は『大人=20歳以上』という考えがあったし世の多くの基準は20歳という節目できられていたような気がした。選挙権は20歳以上だったしお酒と煙草は20歳から、成人式は20歳になった、なる学年が行う。
選挙もお酒も煙草も『20歳になったらね』ではなく『大人になったらね』と言われたことの方が多い気がする。自然と20歳という基準で大人と子どもを区切っていた気がする。
しかし最近はその基準が揺らぎ始めている。 選挙権は18歳以上になったし民法改正で2022年4月1日から成人年齢が18歳まで引き下げられることになった。お酒と煙草はどうなるのかな。
僕自身もこれらの改正により18歳になった数ヵ月後にドキドキしながら投票に行ったことを覚えている。

この事を書こうと思ったのはとある高校生の話を聞いたから。何の会話の流れかは忘れたが、バイト先の高校生がいった言葉がなんかひっかかったのだ。

『私らの代は19歳で成人式だけど、どうせみんな18歳を見る。せいぜい20歳の人は見てもらえるかもしれないけど19歳だよ?どうせ影薄くなって忘れられるよ。』

グサッと来た。

そのあと続けて

『仕方ないよ、私たちは狭間の世代だから』

と言った。
またグサッと刺さった

その子曰く、選挙権が18歳以上になった時の19歳の様子を見てそう思ったようなのである。

その時、数年前に塾の先生(大学生)から聞いた話を思い出した。

『先生もはじめての選挙だけど世間的には18歳と20歳しか見ないからね~19歳もはじめての選挙なのに忘れられてるから』

確かにこれらの系統のニュースをテレビや新聞を見ても『今年18歳になる若者は~』とか『20歳になった人は~』ばかりで19歳にフィーチャーしたニュースはなかなか見かけない。
勿論その意図もわかる。真ん中に注目するより端と端にスポットを当てた方が比較がしやすく記事も書きやすい。でも、本来他の学年と同じように注目されるべきなのに間に隠されてしまっていることによって存在感が薄くなってしまい、祝われるものも本来よりは祝われにくくなってしまう。
でも、法の改訂でかつ自分ではどうすることもできない年齢によって祝われ方に差が生まれるのってどうなんだろうか。あまり良いとは言えない気がする。

単に僕は悔しかったのである。
高校生に『私たちはどうせ影薄くなるから』と言われることが、そんなことをこの段階で言わせてしまっていることが。高校生に未来のことに関してある種諦められてしまっていることが単に悔しかった。たいして年齢も変わらないやつが何を言っているんだって思われるかもしれないが、年が近いからこそ響くものもあったと思う。

もしかしたら法改正の『被害者』かもしれない、そんな『狭間の世代』彼らにはきっとそのものの辛さよりも周囲から気づかれないこと気づかれないであろうことが辛いのだろう。

さて、18歳成人制度が導入されるまでに、
このような『狭間の世代』の現状、諦めに気づき気にすることのできる人で溢れる社会になるのだろうか。

皮肉っぽくなりそうですが楽しみですね。

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