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怪#5(納骨の儀式)

私が幼少期のお墓は
土葬が主でした

墓参りに行くと
二十ほどはあったでしょうか
ひとりずつのお墓が並び
正面に名前らしきもの

側面に
生○○年○○月○○日
没○○年○○月○○日と
彫り込んであり
他の字はかすれて見えません

昔からの湿気を吸い込み
苔むした歴代先祖の墓を
いちいち洗い

献花の水を変え

線香を手向け・・

少なくとも
小一時間は掛かる作業です

詰まらないし
陰気なこの場所が
嫌いでした

子供にとって
退屈であると同時に
何か感じていたの
かもしれません



ある、冬の寒い日
可愛がってくれた
おばあちゃんが
庭先でうずくまり
胸のあたりを
押さえていました

大人たちは騒いでいましたが
私には何のことかわからず
夕方になると
親戚の子供たちだけ
集められ
共に過ごすよう言われた

滅多に会えない
お兄ちゃん、お姉ちゃんが
暗くなっても
遊んでくれること

遅くなっても
「寝なさい」と
怒られることなく
過ごせることを
喜んでいました

その裏側で
おばあちゃんが亡くなって
居たとは知らなかったのです

厳しい寒さの夜中に
大人たちが迎えに来て
そのまま、本家に移動

私たちは一室に布団がとられ
そこで全員、寝かされました

翌朝、本家の4間つづきの
広間に連れていかれると
中央上座の新しい布団に
誰かが寝かされています

顔の辺りには
白絹の覆いがあり
線香が焚かれています

煙くて息が詰まり
訳も分からず
手を合わせさせられました

そのあとは、昨日のように
子供たちだけで
遊び過ごし、その日も
楽しく暮れたのですが
広間のほうには絶え間なく
来客があるようでした

また次の日
広間に連れていかれると
もうお布団は敷かれて無く
代わりに
初めて見る
大きな「桶」がありました

子供用に踏み台が
置かれており
そこに上り「別れ」を
言うのだと
命令のように告げられました

意味が分からないまま
台に上り、なかを伺いみると
大好きなおばあちゃんが
白い着物を着て
額に三角の鉢巻きをして
座っています

いつも、真っ赤なほっぺで
歯のない口を大きく開けて
笑っていた
おばあちゃんなのに

今日は目をつぶり
ほっぺどころか
お顔全体が薄紫と黄緑が
入り混じった変な色で
口を閉じていました

閉じた口の下に
厚く布が敷かれ
と、そこまで見た瞬間
母から盃を渡され
少しだけ口を付けたら
おばあちゃんの口元の布に
こぼしました

あれよあれよという間に
髪の毛を少しばかり
チョキンと、切られ
手の爪も、切られ

それらを他の
子供たちの分まで合わせて
半紙にくるみ
おばあちゃんの胸元に
押し込みました


歯のない口で
まぐまぐしながら
食べたり、話したり

口の端に加えた
長キセルで煙草を吸い
火鉢にコッンと
灰を落としたり
可愛くてカッコいい
おばあちゃん

なんでも
「なるようになるんだ」
そういって
いつも「大したことないよ」
と、ゲハゲハ笑っていた

悲惨な戦争の体験から
大抵のことは
どうにかなると
楽天的だったんだ

そんな、おばあちゃんでも
怖いことが
一つだけあったらしい

死んだあと火葬されるのが
どうしても嫌だ

燃やされたくないと

大人たちに言い残したらしく

集落で最後の土葬として
葬られることになったのだ

当時、法改正で
火葬しか許可されない

まさにその間際のとき
だったらしい

みんなが爪や髪の毛
別れの盃を交わした最後に

お金を入れた
和紙の財布が胸元に
入れられ
「桶」が閉じられた

大人が
三途の川の
渡し賃やからな
と、呟く…


それから全員が
三角の鉢巻きをし

先頭にお位牌

次に遺影

数人の男たちが
桶にかけた布に棒を通して
6人がかりで
担いでいた

そのあとを私たちが
列をなして連なるのだ

鐘を鳴らす人
線香を焚く人

役割がそれぞれにある

そのまま、本通りを
1キロほど先にある
代々の墓地まで歩いて向かう

道端には各々の家人が出て
手を合わせてくれている

私の嫌いな墓地につくと
一角に大きな穴が
穿ってあった

そこに「桶」を収めると
 
隣に山と積まれた土を
ひと掬いずつかけ

最後はオジサンたちが
きれいに均し
周りに卒塔婆を立てた

杖と下駄も準備され
白い旗と赤い旗に
墨のにじんだ文字で
何やら書かれていた

それぞれが線香を手向けると
来た時同様
全員で列をなして帰るのだが

帰り道は裏通りを何回も
右折左折して遠回りした

後で聞いた話ですが

亡者がついて
帰ってこれないように
別な道を通らなければ
ならないんですって

寒い季節の葬儀で
幼い私たちには
悲しみの何たるかは
自覚がなく
親戚一同の行事
それだけでした


それから
日常のいつもの繰り返しに
季節は変わり
いつの間にか
夏が訪れました


その日、朝の早い時間
ラジオ体操をして
ハンコを貰って
帰ってくると

隣に住んでる親戚の叔父に
小遣いをやるから墓掃除を
手伝えと言われた

嫌だったが

自分で買う
アイスクリーム食べたさに
「うん」と
二つ返事をしてしまいました

その時は
わからなかったんです
その意味が…ね

いつものお墓についていくと
先日亡くなった
おばあちゃんを
埋めたところには
祠のようなものがありました

そこに線香を手向けると

あれ?
いつもなら
その向こうに代々の墓石が
ズラーっと並んでいるのに

片隅に墓石が寄せて
積み上げてあります

オジサンは
納骨堂を建てる
準備だと
言っていましたが
私には、わからない?

確信犯ですよ
わからないと踏んで
手伝わせたのですから


墓石が置かれていた
それぞれの跡が
いくつか掘り返されており
穴が開いていました


オジサンは
「京子、おめーは」
「あれを、洗ってこい」

と言いながら指さした先に
ガラクタがひと山ありました


近くにある水場に
バケツに入れたガラクタを
運んでは
タワシでゴシゴシ洗い
敷かれたゴザの上に
ぽいぽい投げて
さっさと終わらせました

汚い棒っきればかりで
変だなぁとは
思いましたが
大人のすることなんて
気にすることないし
お小遣いさえ貰えれば
何でもいいものね

でも
棒っきれって
部位はわからないけど
「骨」だったと思う


そして
最後のひと山は


「タワシじゃなくて
  スポンジで丁寧にな」と


言われたので
まん丸い形のものを
キュっ、キュと
きれいに丁寧に
洗いましたよ
それこそ
20個くらい


・・・・・


今思えば
それって・・・・


頭蓋骨でしたわ

毎日の重ねから私なりの 「思い」を綴っております 少しでも「あなたの」琴線に 触れるものがあれば幸いです 読んで下さり、ありがとうございます