島尾ミホ『祭り裏』(幻戯書房)復刊!

島尾敏雄については以前の記事で何度か触れてきました。ところで、この島尾一族は敏雄を筆頭に芸術家揃いでありまして、この五月に幻戯書房から復刊された『祭り裏』の作者・島尾ミホは敏雄の妻、この二人の長男である島尾伸三は写真家、伸三の長女のしまおまほは漫画家です。敏雄とミホについては、ここ数年のあいだに映画『海辺の生と死』が公開されたり、梯久美子著『狂うひと-「死の棘」の妻・島尾ミホ-』が刊行されたりと、(もともとどちらかといえば地味な作家である島尾敏雄関係としては)話題になっていましたが、『狂うひと』刊行の時点では、『祭り裏』はほぼ入手不可能の状態でした。今回の復刊本には表題作のほか六篇が収められています。

上記のようにミホは通例「『死の棘』の妻」として知られているのですが、一部の人々(たとえば詩人の吉増剛造氏や、『苦海浄土』の作者・石牟礼道子氏)からは作家として高く評価されてきました。『祭り裏』はミホの作品中でも傑作の類として知られます。その文学的な推進力の最も水際立ったものは、やはりミホ自身のルーツである奄美大島の風土と島言葉とに裏打ちされた独特の作中空間です。「祭り裏」は、「其の時私は孟宗竹の藪の中にいました。」の一文に始まり、語りの口調を強く感じさせる敬体の「私」によって、非常に落ち着きのある地の文が続けられます。一方で、

ウジュグヤヌ ウディキヨ
イキャ キュラサ アティム
カナガ ジョーニ タタバ
クモティ タボレ (p.10)

というふうに挿入される島言葉は、島外の人間にはまず理解のできない言葉で、おそらく現代の奄美大島の読者にも耳馴れないものとなっているのではないでしょうか。実際のテクストでは、異例の措置として、このような時には数ページにわたる島言葉のカタカナ表記に添えて、通常ルビの置かれる位置に標準語での「翻訳」が付されています。これは日本文学史において、島尾ミホにまったく独自のものです。

また、ミホは敏雄の原稿の清書を長年行っていたことでも知られており、やはり敏雄の文章からの影響というものが、標準語部分のミホの文章の底のところにはあるような感じを受けました。

南島の岬に抱えられた入江の奧に、茅葺き屋根を寄せ合ってひとかたまりになった集落の、東西へ通ずる白いひとすじの道の上に、……(p.11)

という箇所を読むと、身体性の比喩による地形の描写や、茅葺き屋根を「寄せ合って」というあたりには、敏雄も似たような書き方をしていたことを思い出します。(たぶん上に引用した文が敏雄の小説の中に紛れ込んでいても違和感はない程度には似ている。)もっとも、島言葉の箇所はともかく、標準語部分に関しては残念ながら敏雄ほどの文章家としての独創性はなかったという評価が妥当かも知れません。「祭り裏」も、作品全体から感じられる情緒の雰囲気に対して、個々の文章における表現には、陳腐とは言わないまでも慣用に頼るようなところが目立つためです。祭りの日の広場を描いた「蒼い空、輝く太陽、夏草の緑、紅殻色の赤土、光る白砂など、光りと色の彩なす調和」という一節は、言葉の上ではなめらかですが、そのなめらかさのゆえに読者の頭の中の慣用的なイメージと簡単に結びついてしまい、いまひとつ土着の場面の具体性に欠けるような気がするのです。同じことは、「祭り裏」という作品の核心である「裏」を描く箇所に用いられた表現についても言えます。「身の毛もよだつような恐ろしい情景」や、「此の世のものとも思えない激しい絶叫」といった表現には少々物足りなさを感じました。

とはいえ、こうした箇所はわずかな瑕疵と言うべきものであって、わざわざそれについて言及したのは、島言葉のもの珍しさに感心するばかりの一種のオリエンタリズムを避けるためなのでした。最近では美術界における男女格差というようなことが話題にもなっておりますが、近代以降の文学の世界もどうにも男男していますから、今回の復刊も含め、島尾ミホの名前が作家の妻という通念を脱して、その著書とともに広く知られ、長く読み継がれることを期待します。

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Iutus Sator

1995年生れ,栃木県出身。文学部哲学科卒業。神学と日本文学を行ったり来たり。たまに創作も載せています。

日本文学

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