イラスト

祖父は主に満州にいた。

私の祖父は隻腕だった。左腕が肩までしかなく、引き絞った巾着袋ように皮膚が折り重なって骨を隠していた。子どもの頃、私はおじいちゃん子で、祖父と将棋をしたり、散歩に出かけたりしていた。

家の近所を流れる川の土手を、ふたりでよく歩いた。祖父は腕のないほうのシャツの袖を、旗のようにひらひら遊ばせていた。戦争で左腕を失くしたのだった。体は丈夫で、器用に自転車にも乗った。

竹を割ったような物言いをする人間で、人から疎まれることもあったが、その半面、友人も多かったようだ。右腕一本で喧嘩もしていたようだ。戦争のときは、祖父は主に満州にいた。

「手柄たてて上等兵に上がりたくてな、いつも、いの一番に敵の陣地に突撃しとったんや。その日も突撃命令が出て、鉄砲かついで真っ先に丘の上に駆け登ったんや。一番乗りしたとこまでは、よかったんやけど、目立ちすぎて集中射撃された」

こういう戦争の話は神妙に聞くべしという気持ちはあったのだが、祖父があまりにあっけらかんと喋るので、笑ってしまった。また、軍歌をラジカセで録音することに熱中していた。

「乃木大将の御命受けて、陛下のお心守るため」と歌っていた。戦後もごりごりの軍国主義者だったが、確たる思想があったわけではない。学校にほとんど行っておらず、難しいことはわからなかった。

丘の上で集中攻撃を浴び、命は助かったが、戦時病院に担ぎ込まれたその日のうちに使い物にならなくなった左腕は切り落とされたのだという。

そういう性格だったが、祖父は戦争では死なず、日本に戻ってずっと長生きをしたのち、老衰で死んだ。

読んで下さりありがとうございます!こんなカオスなブログにお立ち寄り下さったこと感謝してます。SNSにて記事をシェアして頂ければ大変うれしいです!twitterは https://twitter.com/yu_iwashi_z