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ネットのリアルとリアルのリアル、アニメのリアルとリアルのリアル、そのはざまの『竜とそばかすの姫』

細田守監督の『竜とそばかすの姫』に関して、観客動員が好調で、細田監督の最高傑作、なんていう声もささやかれているのだけど、それはどうだろうか。細田守監督は「ネットの世界を肯定的に描きたい」という思いを持ってこの作品を制作したとのこと。とても共感できるが、劇中での主人公たちの行動は、当人にとって一生消えないデジタルタトゥーや、現実の世界での事件を誘因する可能性が極めて高く、絶対に真似してはいけない類のものだ。また、児童虐待問題についての描写も、専門的な見地を持っている人からすれば、違和感を覚えるだろう。このため、ネットのセキュリティや児童虐待問題について、日ごろから関心を持っている人ほど、ストーリーの運びに引っかかり、悶々とした気持ちで劇場を後にすることになる。

ところで、私たちはよく、「アニメだから、そこのところは気にしても仕方がない」という言い回しを耳にする。アニメーション作品というのは、基本的には子ども向けのコンテンツとして端を発していて、現実に起こることをそのまま表現するというよりは、省略やデフォルメを行い、あくまでアニメ的なものとして観客に楽しんでもらおうとする傾向が、ずっと昔からある。

アニメの巨匠、宮崎駿作品を例にとっても、『未来少年コナン』や『天空の城ラピュタ』において、主人公の男の子はほぼ垂直の断崖絶壁をはだしで駆け上ったり、ビルの高層階から転落しても、けがひとつ負うことはない。そして、現実的に言えば関わるべきではない事件に首をつっこんで、自分の命を危険に晒してしまう。

しかし、宮崎駿の作品は、それが面白いのだ。現実離れしたアクションや行動が、観客をハラハラドキドキさせ、カタルシスを呼び起こす。そんな風に受容されるのは、ひとえに宮崎駿の描く世界が、私たちの現実の世界とはあまりにも距離が隔てられているからに他ならない。桃太郎を読んで、子どもが悪い鬼の島へ乗り込むことは危険すぎる、なんていうことを指摘する人がいないのも、桃太郎の世界が自分たちの世界とはまったく異なっているからだ。

元来、アニメーションで描かれていたのは、自分たちとは全く違う世界で、非常識な活躍をするキャラクターの姿だった。そうであるがゆえに、細田監督の『竜とそばかすの姫』を目の当たりにしたときに、戸惑いを隠せなくなるのだ。

「この世界は、あまりにも私たちの現実と似通っている」

そう感じた次の瞬間から、それまであれほど痛快だったキャラクターのアクションは、「危険行動」に、怖いものなしで突き進む主人公の勇気は「思慮の足りない迷惑行為」になる。

ところで、この映画のヒロインの母は、増水した川に取り残された児童を救うために川に入り、自らの命を落とす。作中でもこれは「思慮の足りない危険な行為」と陰口をささやかれている。これは、アニメーションを現実の物差しで見たばあいに感じられる戸惑いと同じものだ。ヒロインの母は、アニメーションであれば賞賛されるが、現実ではむしろ非難を受けてしまうような、アニメと現実の、境界線上にいるキャラクターなのだ。

そして「竜とそばかすの姫」のヒロインもまた、ネットと現実、アニメと現実のはざまに存在するキャラクターである。母はアニメーションと現実のはざまで、アニメーション的な行動をとって、命を落とす。では娘は。娘もまた、アニメーションの王道のような「思慮に欠けた」行動を示すが、その結末は母の二の舞なのか。それともそうでないのか。

細田監督の描くアニメーション世界は、あまりにも現実に似通っている。それがゆえに、痛みはそのまま死へと直結される。桃太郎がいくら痛みを感じても、死ぬことはないのと対照的に、細田監督の映画の痛みは死にダイレクトに結びついている。でも、そのなかで、キャラクターは典型的なアニメーションの理念で動いている。血を流しても死ぬことを知らない、アニメーションのキャラクターとして動いている。このアンビバレンツは一体なんなのか。

近年、アニメーション作品のなかに、痛みと死が連続的につながっていることを示す作品を散見することができる。『この世界の片隅に』がまさにそのもののように思うが、『竜とそばかすの姫』も同様のテイストがある。幾人かのアニメーション作家にとって、アニメと現実をいかに重ねるか、というテーマが存在しているのだ。これは非常に興味深い。それを掘ってゆくとどんなものが現れるのか。

残念ながら『竜とそばかすの姫』の段階では、踏み込みが甘く、まだ核心が見えない。現実に酷似した世界を構築し、そのなかであえてキャラクターにアニメ的な行動をとらせる。するとなんだか後味の悪いストーリーになる、ということまでしかわからなかった。まだまだ消化不良の感が否めず、これを細田監督の最高傑作とはとても言えないだろう。

しかし、『竜とそばかすの姫』は確かに、何かを語ろうとはしていた。何かとても重要なことを語ろうとしていたが、まだ思考が臨界点に達していないのだ。今後、細田監督は、アニメと現実のはざまで、さらにいろいろな作品を作るのだろうと思う。まだその端緒が示されたにすぎないだろう。

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